モーニング娘。に加入したい。

モーニング娘。の動画を見るのにハマっていた。
ドキュメンタリーが最高なわけやけど、普通にライブ映像もいい。俺はアイドルに詳しくないけど俺の知らないモーニング娘。、、多分、「モーニング娘。14」と言われている2014年以降のやつがすごい。
ダンスも歌唱力もなにか生命力が弾けるような迫力を感じる。そこには色んな運が絡み合って最高の状態ができているひとつのアスリート的ともアイドル的とも分類しがたい美しさがある。

こういう情熱的なアイドルの映像にハマる時期が定期的にあり、1年前はベイビーメタルのライブ映像を見るのにハマっていた。
あのアイドルグループもダンスや歌唱が情熱的で中毒性がある。

俺がこういった映像を見るのにハマる時期というのは何か共通の特徴があるのかと考えてみたけどなにも思いつかない。

、、、と思ったけどもしかしたらというのを思いついた。
モーニング娘。やらベイビーメタルは本当の少女、、つまり、12~18歳ぐらいが多い。特に12歳なんて子供だ。
俺はこのごろイノセントについて考えていた。「ティファニーで朝食を」を読んだことで考えさせらることになったのだが、そういった影響でイノセント感のある天衣無縫感のある少女アイドルを見たかったのかもしれない。
一般に少女アイドルにハマるとはそういった投影が主軸になってることが多いんじゃないやろか。

俺にもいろいろなイノセントがあり、崩壊してきた。
例えば、父や母への信用もその一つだ。「大きな物語」の崩壊とはイノセントの崩壊と言い換えることが俺の中ではできる。
そして今も父や母への信用が崩壊されつつもその一方でそれを大事に守っているところがある。
そういった自分の中にあるイノセント性が少女アイドルを見て癒されていたんじゃないかと思う。



自分の中にある少女性みたいなものも発見した。
女性性とも書き換え可能かのように思えるが、女性性だとセックス的な意味合いが俺の中では含まれてしまい、そうではないので少女性と書く。
俺は七五三の時に女の子用の服を着たがったみたいだ。これは母から何度も聞かされた話で覚えているのだが、俺もなんとなくそんな気がする。
セーラームーンが好きで幼稚園ではそれが恥ずかしくて隠していた。小学生低学年のときは母が趣味でしていたビーズアクセサリー作りの余りのビーズで指輪を作っていたりした。それも恥ずかしくて誰にも言わないようにお願いしていた。
なにか俺の中に少女性があるんだと思った。多分、人間だれしもそういうものがあると思う。

そこから転じて、おばちゃんも少女の時代があったんだなとすごい腑に落ちる感覚になった。
そしてそういった少女性は、おれの少女性と同様におばちゃんの中で生きている。たぶん男性である俺よりもっと活発に生きているんだと思う。



今日のジムは二ヶ月ぶりに会ったおばちゃんと一時間ぐらい喋った。
巨大中国人とも、ザ大阪ともゲイぽい人とも喋りまくった。喋るのがすごい楽しくなってる。
しかし、帰りになにか罪悪感のようなものを感じてしまう。俺の中で楽しんではいけないみたいな物語がすごい強固に残っている。この物語に飲み込まれるのと今みたいな状態を俺はずっと行き来しているんだと思う。


みすず書房からカフカの日記の本が出るらしい。図書館で予約しておいた。
表紙が手書きの日記の写真でその文字の感じがなにかいいなと思った。おれは人の文字フェチだ。
これはけっこうなものでフロイトカフカみたいな好きな人の字の癖に惹かれることもあれば、女性の文字に性的な魅力を感じることもある。
女性の文字に性的な魅力を感じるのはおれにとっては当たり前すぎる感覚やけど珍しいのかそれともみんな恥ずかしいから隠してるのかどっちなんやろう。
自分の文字は本当に魅力が無くて好きになれない。

千葉雅也がセンスの哲学という本を出すらしい。
センスを得ようと本を読むのがなにかセンスがないことのように思うのでしばらくは読まないと思う。