模試からほとんど勉強をしていない。巨大中国人と銭湯に行きネガティブなことをたくさん言われて一気にやる気を失った。
そこからなにもかもが崩れてしまっている。それは勉強習慣だけでなく、自分でいることすらも難しくなっていると感じている。
勉強をはじめるあたってはおれはすごい慎重だった。行ったらもうもとに戻れないような感覚。箱庭を目の前にしてひとつ置き始めるともうあとに戻れない感覚に似ている。
その慎重さはいいことだった。慎重にこころの準備をしたので、おれは勉強で生活を崩しながら、いろんな嫌なことにも耐え自分を保ち続け勉強をしていた。
俺は何において俺たらしめているのか。何をもってして一秒進めばそれは一秒前の自分を引き継いでおり、さらなる一秒後もまた俺であらしめているのか。
それは非常に張りつめた非常に具体的なこととの積み重ねだと思う。
例えば、ご飯は完全に自炊で決まっている食材を決まった調理方法で食べている。
朝は起床すれば、決まったコーヒーを飲み、シャワーを浴びる。
仕事帰りは決まったYouTubeチャンネルを見て、まったくもっていつも通りの決まったご飯を食べる。
運動の内容も決まっている。
たぶんかなり規律正しい生活だと思う。
物にすごいこだわりがあり、買い物するときに命がけのような感覚がある。
それはきっと正しい感覚なのだと思う。それは俺の自分自身そのものになるからだ。
キーボードやマウス、モニターもこだわれる範囲でこだわっているし、筆記用具や椅子やインテリア、寝具も自分が限界の苦しさまでこだわる。
繰り返しになるがそれにはまっとうな理由があってそれは俺自身だからこだわざるえない。
俺は筆記用具マニアで筆記用具が好きなんやけど、そういう自分が嫌いだ。なにか後ろめたさがある。
それは自分を失い、気が狂いそうなときに、文房具にこだわることで自分自身を保っているからだと思う。
その自分自身のもろさが後ろめたいのだと思う。
俺はあらゆる儀式のもとに一秒ごとに工夫して自分でいる。
精工かつ繊細ですぐに壊れる。崩れたらまた時間をかけて再構築しなおしだ。それがいまだ。
ブログや読書もまた自分を維持する儀式のひとつだ。
家族がいればこんなことないだろうなと思う。
家族もまた俺がやっている自分を維持する幻想のひとつであると思うが、強さが全く持って違う。
そして家族は社会へと広がりがある。
これは以前に書こうとして失敗したのだが、社会は家族に支えられた自己愛を持っている人間か分裂した人間しか居られないと思う。
俺のような必死に自分を保っている人間にはあまりにも厳しい。
あらゆるものごとが家族ありきで構築されているように思う。正月だってそうだし、保証人だってそうだ。
ふと思いつきの脱線だが、パワハラが問題になるのも家族崩壊が原因なんちゃうやろか。
昭和のパワハラに耐えられていたのはそのときはまだ安定した家族が多かったのかもしれない。
その理屈にのっとるとたった一世代でどこまで崩壊しているんだという話だが…。
巨大中国人に宅建の相談をして崩れていることを友達に相談すると、相談する相手は選ぶべきだと言われた。
たしかにそうだ。
かなり慎重にものごとをすすめて、大事なことは人には言わないようにしてきたのに凡ミスだ。
その人と自己愛について喋ると自分をペットようにとらえるといいと言われた。
その視点はいいかもしれない。自分をペットだと思うと、いつもつらいことばかりやらせて、我慢させていて、なんてひどい扱いをしているんだと気付く。
自分を律さないと自分でいられないというのは母の物語なんやろうか。
カウンセラーに社会に参加するには自分を殺さないといけないという感覚があるということを話した。
俺は自分を殺したくないし、後戻りできなくなったら大変だから社会に参加したくないと語った。
それは母の物語をひきついでいるのでしょうかという助言があった。
社会において自分を殺す、それは家族において自分を殺すことであり、一秒一秒に自分でいるために自分を殺すことなのかもしれない。
調子が悪いときは一日中YouTubeを垂れ流しにして何かを聴いていないと落ち着かない。
顕著だったのは引っ越し直後だ。
自分を失っているとき、自分の振動を失っている。
スピーカーの上に乗っているコップを想像するとわかりやすいが、振動が不定形なものごとに形を決める。
自律している振動とは一秒前の自分の振動を引き受けていることだ。
それができないときYouTubeで何かを聴いてその振動に自分自身を預ける。
そうして自分の形を定めて、しのぐ。
俺の人生はきっとこれからも苦しい。
苦しくなくなることはないだろう。絶望しているわけではなく、これからも自分でいようと頑張るつもりでいるということだ。
なにもかもが手放しでぼーっとしていて何をしていても自分でいれたらいいのに。
端的に捉えると分裂ポジションから抑うつポジションに入っておりこれを死ぬまで続けるのは本当につらいが、気を張る以外に方法がわからない。
追記:
最近、自分であることの難しさについてよく考えていて、いろんなことが紐づいている。
よく考えていたのは体幹や足裏の感覚についてで、パンチを打つときに当てることに必死になっていたら身体の軸が前に傾いて力が乗らない。
射程距離は短くなるが体幹をまっすぐにしたままだと力が乗るし、引きも早い。
パンチの効果に気がいきすぎると肝心なことが台無しになると言うことだ。
これが本当に難しく、ほとんどがパンチに体幹がもっていかれる。体幹を失っている。
ついさっきご飯を食べていて、食べ過ぎないように注意していた。
深夜に食べすぎると朝に胃もたれするからだ。
少ない量で満足感が少ないので、できるだけゆっくりと咀嚼して食べていた。
それで思ったけど、ダイエットしていたときによく疲れて暴飲暴食していた。いやなんなら太っていた時は毎日のように暴飲暴食していたか。
それはひとつの振動なのかもしれない。自分がないから何かでもってして自分とするための一つの手段が暴飲暴食。
たくさん食べてどんな感覚も麻痺するぐらい満腹になって時間を過ごすと、その時間はひとつの形が定まる。それは自分を維持するためのひとつの方法だ。
すごい納得する。
追記::
これは実感的に正しいと思ってるんやけど、ハムストリングスが硬いときはそれはハムストリングスが物理的に伸びなくなっているのはなく、神経的なブレーキがかかっていてかたまっているのだと思う。
ハムストリングスは骨盤を支える筋肉でもあるけど、他にも支える筋肉は複数あって、代表的なのは腸腰筋だ。
そこが支えに参加していてないと、ハムストリングスは力を抜くことができない。ある程度の伸ばしたところでこれ以上は危険だとブレーキがかかるのだと思う。
俺は自分を手放しにできない。完全に律しようとする。危険がないと知っていければいいのだが…。