虐待再演 俺が加害者

あったことを記述していこうと思う、その後に感想を書くというふうにしていきたい。
ただ書いてみてどうなるかはわからない。

約束の時間よりかなり早くに待ち合わせ場所で待機していた。だいたいの場所を母にラインで伝えた。
約束の時間に母がきた。見た瞬間にわかった。こちらに近づいてくる。俺はどこかを見ていた。
母が俺のほうをじろじろ見る。俺は何も反応しない。母は人違いと思ったらしく他の席に俺らしき人がいるか探す。
そこで俺が「母さん」と声をかけ、俺の名前を問われるように言われうなずき母は席についた。
母は美容室で髪をセットしてきているようだった。

俺は泣きそうで必死に耐えていた。長い沈黙だった。
母はずっとこちらを見ている何を考えているのかわからない眼差しだ。(このときはわからなかったが、この眼差しこそ俺にとっての最大の暴力だった。後に語る。)
俺は最低ラインだけは死守することだけを考えていた。そうして「あなたのことが嫌いで憎しみがある」と伝えた。
母はずっと黙っていた。目は無だった。いい調子なのではと思った。母が発狂せずにずっと黙っているなんてと思った。

その後、どういう流れがあったか覚えていない。ただすぐに母が語りだした。
「あんたは小さいときだったから覚えてないやろうけど、父さんとあんたは二人で結託して私のことをいじめていた。私はすごい孤独だった。私もつらかった。しかし、それはあんたが小さいときのことだから仕方のないこと。お父さんがやったことやから」と。

この時点でもう混乱していた。
なぜ、この場で俺が加害者のようなことを言われるのかわからなかった。わからないということすら捉えられなかった。ただ混乱だった。

「それはつまり俺が加害者だったと…」と語ろうとすれば、母が「そういう意味で言ったわけではない」と俺の言葉を遮った。

それで俺は反射的に無意識的に相手に気を使い「それは俺も加担していたけど、あくま父さんが俺をコントロールしていて、それで母さんは孤独やったんやね」と慮った。
現場では我慢して気を使っていることに気がついていない。後にわかったことだ。

もうこの時点でエッセンスが詰まっている。いったんあったことを書くのをやめて分析を書く。

まず母は謝罪もなく(後に二回軽く謝られる)言い訳をしだした。自分でも「まぁ言い訳やけど」と語っていた。それでも彼女は言い訳を語るの抑えずに語る。
自分がしたことは全て自分の責任であるという気持ちがなく、あくまで被害者であるという態度を取る。

俺は自分が無限に加害者であり、母は無限に被害者であるように感じた。
母は俺の上記のような俺に記憶のない幼少のことを語り、また祖母のトラウマも語り、自分が被害者であることを語る。
俺の幼少期も祖母のことも俺に記憶がない。俺に全く”関係のない”ことである。
その領域で語られると母の言うことが全てになる。俺はこの時点でもう萎縮した。
母はすでに涙目であった。

俺は母を意図を汲み取るようなことを言った。
この時点でもうすでに俺と母はひとつのチームになっていた。祖母と父という巨悪の被害者というチームだ。
そこに母の加害者意識は感じなかった。

母は俺の話をしているとき怖いほど冷静だった。なにも無いようだった。母のトラウマの話になると涙目になっていた。
母のつらかった話に祖母に「あんたはかわいそうやな」と無関係な人みたいに言われたことだと語っていた。
まったく同様に母からもその態度を感じていた。加害者の罪の意識や責任感というのを感じなかった。
あなたも似ていますよとやんわり伝えると「それだけは言ってほしくなかったな…」と語っていた。
虐待加害者である母はどういうポジションで俺の前に居るのだろうと今では思うが、そのときはまずいことを言ってしまったなと罪悪感を感じていた。

俺はもう母に飲み込まれていた。

俺が加害者であるということ。これは思ったより深いトラウマだったみたいだ。
いま具体的に思い出せないが、カウンセリングでも加害意識の苦しみについて語った回があった。

なにか本当に苦しくなってきたのでここまでにする。
まだまだ続くし、記事は混乱したものになるだろう。あまりにも多すぎる。精神的虐待の全てがつまっていた。
あの日から今まで起きている時間全てでゆっくりとしたフラッシュバックがあり苦しい。

追記:
祖父母を殺人した少年のノンフィクション作品に「だれもぼくを見ていない」というのがある。
あれがよくわかる。いままでもわかっていたけどいまはさらにわかる。
母は俺を見ていなかった。母はトラウマしか見ていなかった。俺もトラウマに参加させられるだけだ。
こんなかわいそうな子どもがいるだろうか。
お母さんに自分を見てほしい、わかってほしいのにずっとトラウマの念仏をとなえている。
そしておれの魂は死んでいった。

俺に救いがあるんやろうか。
おれの魂は癒されるんやろうか。
だれも僕を見ていない。本当によく分かる。

追記::
いまたぶんすごい伝わらないことが怖くなっている。
このブログをはじめてしばらくして人が読んでいることがわかった。
人に伝わるのだと感動した。
今は誰にも伝わらないと思っている。そうして俺は二十代を孤独に過ごした。
また、そうなるとおれはおわりだ。受けた傷は大きい。

虐待再演 母の前に俺が居ない

母と再会した。
直前までのことは前回記事に記してある通り。今日は本当に一日中、母との会話のことを考えていた。
ブログ内でも語ったことがある現実からは離れないが思い出さないでおくというコントロールは効かないゆっくりなフラッシュバックだ。
母にラインを送ろうと思っている。その日に起きたことで思ったことと、カウンセリングを勧めるということだ。
俺はカウンセリングで快方に向かっていてその実感から色んな人に勧めたい気持ちがある一方、無暗に勧めるのはなにか違う気するという直感もあり、人に勧めたことはない。
ただ、今回は母親を突き放し勝手に生きてもらうためにも勧めようと思っている。

話の細部に入る前に思ったことの結論を書く。
話し合いの中でなにか手ごたえの無さを感じていた。話が通じるようで響いていないという感じだ。そしてなにか冷静すぎる虚無な態度と目つき。
その場では「打って響かない人」「人格ができあがってない」と表現した。中身がないのだと思う。
また詳しく書くが、虐待加害者が虐待被害者と接しているような態度ではなく、共感者、理解者、共に祖母または父という巨悪の被害者という態度に見えた。またはそれ前提の加害者という感じだ。
涙目にもなっていたが、相手の感情が高まる瞬間は自分のトラウマを自分で語っているときが最高潮に感じ、次点でそれについて話されているときだった。
自分自身に繋がっている面が「祖母に虐待されてきた私」と「父からDVを受けてきた私」しかないのだと思う。
だからそこに涙し、全ての話がそこに帰結し、それ以外では抜け殻のような中身のない人になるのだと思う。
「それ以外」の話に俺への虐待の話がある。そこでは事実を求める態度が目立ち、すり合わせようとする態度がある。
その時の母に自分自身というものがないから、息子たる俺自身に向き合うベースもなく、事実を求めようとするのだろう。
俺の感情、主観、俺自身を受け容れる気持ちがない。この態度こそ虐待のベースだろう。
このように俺自身と向き合うとき母は虚無であり、俺の発した何かにしか感情や評価をできず、人同士の繋がりがなくなり、俺の心は死んでいったのだと思う。
俺は人として扱われていない。

これは転じれば、母自身も自分自身を人として扱っていないということだ。
上記したトラウマの話でもってのみマイナスではあるものの本当の感情をもってした人間らしい母が現れ、他では自分自身を無下にして与えらえる知識をもってして自分を構築したのだと思う。
精神病の病名にこだわるのもそういう傾向の現れだ。
(逆に見れば俺は本当に強いと思う。病名に助けられる気持ちになる人はたくさんいる。それはその病名によって自分が成り立つからだと思う。しかし、俺はそれにずっと抗ってきた。もちろんいろんな知識の複合だが安易に頼らず、あくまで自分の感覚によって自分自身を捉えてきた。)

つまり、いくら俺がどうしても全くの完全に無駄なのだとわかった。この点に関しては本当にわかったので苦しみがない。
母はまず自分の傷を自分自身で癒すしかないと思う。そうしたらそれ以外の自分自身も大切に扱うことができてくるだろう。
そうしてはじめてまともに会話ができるのだと思う。心から加害者として責任感をもって謝罪ができるのだと思う。

そういう意味でどうしたって母親のトラウマの処理が終わらないとどうしようもない。
そしてそれは俺の認識では精神病院の処置や投薬では無理だ。カウンセリングしかない。
無論、期待はしていないが、それ以外、母親が人間として俺に謝罪する道はないと思うのでそれを示してあげようということだ。
母と仲が悪いのではない関係が無いと表現していたのが本当に的を得ている。
母は自分のトラウマでよってのみでしか俺と関わったことがない。そして、そのトラウマは俺はとは全くは無関係だ。母は俺と全く無関係な次元での作業をしないといけない。
それをいつまでも俺の為のという名目での自己犠牲で自分自身を大事にできないことと向き合うのを避けているから何も起こらないし、不快に感じる。

母親が自分のトラウマ以外の話をしているときの極端な冷静さは何か自分に似ている。
俺もたまにそういうときがあるし、昔はよくああいう手段でもってして現実対応していたと思う。
そこに自分はいないという態度だ。

いきなり長くなり過ぎたのでいったんここで区切る。本当に長くなると思う。
話し合いは虐待の再演そのものだったので傷ついた。

追記:
なんか今までのブログ活動もこれのために準備してきたようにすら思う。
この大きすぎるトラウマの再演をできるだけ捉えられるようにしていたのかもしれない。
一人暮らしでいいのは落ち着いてまた後日に書こうと思えることだ。父といるときは父が日々トラウマ更新していくのでその日暮らしというかその日に書ききらないと明日はないという切迫感があったように思う。

追記::
この感じ懐かしいな。帰って食品を冷蔵庫に入れることすらせず、ノンストップで猛烈に書くみたいな。
つらいと書けるんやね。

追記:::
最低ラインの設定に嫌いだと伝えることとしていた。
これに若干の違和感があったがそれは嫌う対象が居ないということだったのだと思う。
嫌う対象も責任追及する対象もない。

落ち着くために書く

今は新幹線。11時ちょうど。
3列シートの窓側に座っている。通路側にスーツ姿の青年が座った。暖かくできる弁当を買っていて食べそうだったので途中で俺がトイレに行くのに弁当をシートに付いている簡易テーブルから引き上げさせるのが悪いし、悪い気になってトイレに行けなるのも嫌で青年が弁当を開ける前にトイレに行った。
すぐ用を済ませて帰ったら青年が弁当を開けていてホカホカ状態だった。
結局、アチアチ言いながら青年は弁当を膝の上に乗せてその前を俺が通りに席に戻った。
ちょっとは察せや。
しかし、かわいい顔のしたよさげな青年だ。

吉本ばななのノートは否定的な意見が多くて安心した。
さすがにひどいと思う。ほとんどがお金の使い方についての批難がが多かったが、内容の幼稚さや態度の甘さも批難されていて安心した。
本当に大切なちゃんと読んでくれる読者の信頼を失ったと思う。
この批難への応答がなければ失われたままだろう。

これからスマホのメモを確認して、ゆっくりと集中力を高めようと思う。
この記事を書き終えたら弟に母親と話すから数日は注意するようにとラインしておこう。
横浜まで約2時間、そこから八王子まで40分。
待機時間は1時間用意してある。そこからだ。
ただ、母親も早めに来るかもしれないので現場についたらいつ来てもいいようにかまえていないといけない。

昨日にも書いたが、母親からラインが返ってこなかったとき不安だった。
もしかしたら、相手に会う勇気がなくて、ドタキャンかと思った。
そしたら俺はラインで伝えるしかないなと想像していた。明らかに不完全燃焼であり自分自身それを誤魔化せないだろう。
会えるのはラッキーだ。もちろん死んでいたら会えもしない。これからの会話は人生最大の母親への甘えになるのかもしれない。

昨夜の寝る前にユーチューブのショート動画で元ヤクザの人が一人の奥さんを振ったことによって自殺してしまったことを後悔しているという動画が流れてきた。
今も同じような不安がある。
この不安を認めるのが大切だ。罪悪感と不安がある。
母親と面して最大までその気持ちが高まる可能性がある。そのときはまずはいったん止まろう。そして相手が黙ったときにたたみかける。一気に一線を超える。
嫌いだということ、憎しんでいるということ、俺とは無関係に生きていってほしいということ、めんどうは見ないということ。
これだけは必ず言う。

めんどうは見ないというのだけ、特別言うのが怖い。
これは少し具体度が高くて母親の絶望を深めそうだ。
これは怖い。

父親に話がおよぶこともありえる。
母親につくのか、父親につくのかという世界観はきっと母親にとって大切だ。
どっちとも棄てる気でいるので、応える簡単なことだが、そこにこだわりだす可能性がある。

今一度、母親の写真を確認した。
やっぱり心臓がとまるような感覚になるし、罪悪感がわく。
現場ではそれ以上だろう。俺が泣くこともありえる。コンビ二でティッシュかハンカチか買っておこう。

親とは思っていないというワードも大切だ。
しっかり発言しよう。
あなたは虐待したというのも大切だ。
多くなってきてる気がするが1時間あればいけるだろう。
具体的な話には入るときもあるだろうがほとんどめちゃくちゃになると思う。
俺が一言具体的なことを言えば何百と自分のせいではなく父親や自身のうつ病のせいにするだろう。
そのときも取り乱さず取り合わないようにしないといけない。
いや、それでいいんやろうか。それは今までの対応とおなじになる。
いや、これでいいんだ。具体的な話は無理だ。構造として完全対立できていたらそれでいい。

具体的な話になってどうしようかということを書いていて思い出した。
昔におれはこういうことをノートに書いていた。
まだ諦めていないとき、母親と喧嘩したのちにこう言えば母親はこう言うからこう言おうだとかそういうことだ。
理想は開始からまずおれが伝えるべきことを全て伝えて、その後の50分ぐらい具体的な話におよび平行線で終わるということだ。

追記:
大切なのは情が移る前に勝負をきめることだ。

追記::
13時半、弟に連絡した。母親と会って話すから数日は注意するようにと。
わかったけど自殺するとわめきださんようにはしてほしいとのこと。
そのつもりやけどある程度はいくと返信した。
決意がにぶりそうだ。
最低ラインは守らないといけない。この決意の鈍りも想定内だ。とにかく最低ラインは守る。それだけだ。

追記:::
2時10分
近くのマクドナルドで待機中。集合場所は確認済。こうして書かないと落ち着かない。
45分に到着して席に座って待っておこう。その前にトイレにも行こう。
こうして待っている間も向こうも全く同じ考えでマクドナルドで待っていたり1時間前に集合場所にきていないか不安になる。

弟から追加のラインがくる。
帰宅時に構えておきたいからおわったらラインがほしいとのこと。
弟には申しわけない。しかし最低ラインは守る。
ホットコーヒーを飲むためにメガネを外した。眼鏡の柄が揺れていた。手が震えている。
当たり前だ。まだ想定の範囲内。マクドナルドは35分に出よう。

精神統一的に書く。

明日の準備はほぼ完了している。
もはや一昨日からほぼ完了していた。ただ機械的に進めれるように。
母親がもしかしたら待ち合わせ場所の喫茶店がわからないかもしれないので、事前にしっかり調べられるように昨日の夜に場所の連絡をした。
今日になっても既読がつかないので不安になってついさっき連絡したら昨日は夜勤だったので確認できなかったとのこと。
夜勤でも読むことはできるだろう。
こんな不安も明日で訣別できたらいいなと思う。

夜勤で確認できなかったと読んだ時、心が痛んだ。
もしからしら、すごい大変でそれでラインも確認できないぐらい日々疲れているのかもしれない。
そう考えるとさらに俺が追い打ちをかけるように攻撃するのだとしたら残酷だと思う。
でも俺はその苦しさを乗り越えないといけない。この罪悪感を乗り越えないと今後一生に関わる挫折になるだろう。

帰宅の道でも突如、こころの一点にツーっとなる感覚に襲われた。針に刺されたというか、穴が開いたというか、水が流れているようなというか。
帰宅すればもうタイムスケジュールは決まっている。あとは母親と会うまで一直線だ。
怖い。

今日は仕事をしていた。
新しいバイトの子がきてくれた。女子大生で元気そうでいい感じの子だった。俺のタイプじゃない子でよかった。
その子と他の人たち含めて仲良く働いた。
明日に人生の全てを覆すようなことをしようとしているのに普通の日常がある。変な感じがした。

未だにこころが揺れているのがよくわかる。
うまく自分をもっていかないといけない。

明日は予定に通りに東京に行き、話し…というか告げるという感じだが…話して、すぐさま帰り、ジムに行って寝る。
火曜日になればまた仕事だ。

棄てるには重すぎる年月

眠たいけど一応書いておく。
守るべき最終ラインはしっかりと相手との関係を断ち切ることだ。
嫌いだし憎しんでいるし罪悪感を感じているしトラウマしかないと。関係の修復は不可能で俺に期待しないで勝手に生きてくれと伝えることが大切だ。

相手が発狂するよりもさらに懸念するべきは俺が崩れないかだ。
カウンセリングでも予期せぬことでトラウマが蘇り泣いてしまったり、感動で泣いてしまうことがある。
母親と会うとなると不測の事態ばかりになると思うので、泣くかもしれない。
泣いたら相手は慰めてきたり、同様に泣き出すかもしれない。そうしたら繋がってしまう感じがしてすごい不快だ。
終始、完全にこころを閉ざした状態を維持したい。

断ち切ることと崩れないことが最低ラインだし、そこまでいけば十分だと思う。

これらは昨日の夜に考えていたことだ。
ブログを書いたあとに追記をつぎつぎにスマホで書き足していたら、どんどん不安になってきて最低ラインの目標を考えるようになった。
今日のカウンセリングではそれの確認をした。

カウンセラーから重要な問いがあった。
母親に捧げてきたこれまでの自分はばっさりと棄ててしまうのだろうかということだった。
これは本当に重要だし、面白い。というか、こういう自分自身に跳ね返すような発想は普段ならカウンセラーから問われる前に自分ですでに考えていて、自ら話しているものだが、訊かれるまでそういう発想が出てこなかったあたり、やはり今は異常事態だと思う。

俺は絶妙な年齢だと思う。34歳。
俺が10歳だったらこういう問いはなかっただろう。34歳だから棄てるには重すぎる年月がある。
逆に60歳ならもう抵抗力…生命力が枯渇しており、事件を起こす以外無くなっているだろう。
もう手遅れで遅すぎでもあり、間に合ったような、絶妙な年齢だ。

今までの自分をなき者として、新しい自分として生きたい。同時にこれまでの壮絶な経験を活かしたような自分でもいたい。
この問いは本当に難しい。棄てなければ今まで死んでいた自分が吹き返してこないように思えるし、棄ててしまうなんてもったいない。

絶縁に関する俺の結論はこの問いにかなり応じていると思う。
事実上の絶縁関係になっていくつもりだが、絶縁宣言はしない。それは母親との縁が切れると思わないし、縁を切っている状態というのは不自然で維持するのに疲れると思うからだ。それに死に際をチェックしたいという自然な気持ちもある。
生きていくのに邪魔すぎるが縁は切れないから宣言はしないということだ。
完全に棄てていないのがちょうどいい塩梅だと思う。

ふと、父方の祖母が父に百万円(多分)渡していた光景を思い出した。
それは祖母が幼少のときに父を棄てたことへの謝罪の金だった。父は何も言えてなかった。
俺は今回言う。しかも何があっても許さない。
あの金を渡している時、母親も居た。金を渡す祖母、何も言わぬ父を見てなにを思っていたのだろう。彼女もまた虐待されてきた人間だ。

万が一の可能性として母親に俺への虐待の罪の意識があって、謝罪の何かを持参してくるかもしれない。
もちろん受け取らないが想定はしておこう。

いま本当に余裕がないが、重要なのは母親を棄てるにあたって今まで母親に捧げてきた俺が同様に棄てられることになるのかだ。
今回のことは自らを消すという恐怖も含まれているのかもしれない。

「母親のトラウマに苦しんでいてそれに関してカウンセリングに来ました」

初めてカウンセリングに行ったときの記録をはてなブログの下書きに残しておりそこに書いてあった。
読み直さずともよく覚えていることだ。
母親が嫌いだということを他人に伝えるだけで泣き崩れていた。

今度は実際に母親と対面して言うつもりだ。
また泣き崩れるかもしれない。
あらゆる不測の事態が想定される。母親が泣きわめくかもしれないし、来ないことすらありえる。
もしくは他人を連れてくる可能性もあるし、怒りでずっと喋り続けるかもしれない。
母親ではなく俺自身に不測自体が起こるだろう。
想定していくのも大事だが、もっと大事なのはその場の自分を信用して判断を任せることだ。
徐々に集中力を高めていって、体調を整えていくつもりだ。
友達の結婚式のスピーチの成功がある。あれを再現できればいい。

母親に言いたいことリストは作っている。それには執着はしない。
その場の俺は一番適したことを話すはずだ。

今日はカウセリングだった。
俺が最大の問題点としているのは絶縁を宣言するかどうかだった。
絶縁することで俺は生命力を取り戻すと考えている。もし、それで母親が生きる力がなくなったとしても仕方がないと思う。
行くところまで行ってしまっている…わけではないか、行くところまで行ってしまっているというのは親の死の直前の局面になると思う。
その局面が来る前に俺は手を打とうとしている。

俺の主観では母親は俺の存在を糧にして生きていると思っている。その世界観が俺の生命力を失わせている。
俺は元気に生きていきたい。死んだまま生きたくない。
この家族で全員が元気に生きるのは無理だ。だから他を犠牲にして俺だけでも助かろうと思っている。それこそが俺の生きる力だ。
「母親のトラウマ」それは俺に罪の意識を植え付けている。
その罪の意識と元気に生きたいという本能が内部で衝突していて俺はずっと苦しんでいる。

絶縁は俺を回復させる、俺を守る。自己愛の礎になると思う。

ただ俺はたぶん絶縁を宣言しない。
ひとつに死に際を見たいという欲求があるからだ。率直に俺は死に幻想を抱いている。
死に限りなく近づいた時、人は生きようと限りなく生命力に満たされて、死の一点と重なる瞬間に全てのもやが取り払われ、反省するのではないかと思っている。
そうなるか否か、確認するために俺は死に際を必ず見たい。
死に際を見たいのに絶縁というのはおかしい。

それに縁というのは必ずあってしまうものだと思う。絶縁というのは自然ではない。
かなり頑張ってその状態を維持しないといけなくなる。それもまた苦しいと思う。
母親が親と絶縁しており、それは不自然だった。

現時点の結論は絶縁宣言はしないものの、もう5年、10年は会うつもりがない、面倒も見ない、親とも思っていない、死に際はチェックしに行くと言うつもりだ。
そう、俺に期待するなということだ。勝手に生きて勝手に死んでくれたいい。
俺も死に際以外こころから何も期待していない。

免疫をつけるためにクラウドに保存してある母親の写真を確認した。
やはり気持ち悪い。これが8年老いた状態で対面しなければならないと考えると本当に怖い。

夢はごまかせない。

なんか紙でかいてわたす。
ここに行かないといけない。
あいてはわかる。
なんかまた紙でかいてわたす。
「何時までに行ってかえる」
あいてはわかる。
相手はたぶん母親。

絶縁できないことをよく象徴していると思う。
何時までというのは死の瞬間のことやと思いたい。


追記:
本当にできるのやろうか。対面してあの顔を見て言えるのやろうか。
怖いけどやるしかない。ここで折れれば俺は一生死んだままだろう。
明日に発声の練習だけしよう。覚えた通りに言えばいいようにしよう。
対面したときに何も言えなくなる可能性がある。それがなによりもの失敗だ。

そう演技だ。
演技の練習をしよう。大事な局面を俺は演技で乗り越えてきた。
こんなことにロールモデルなんてないけど、それでも無策でいくのは耐えられない。
準備とその場任せのバランスが難しい。

明日もカウンセリングだ。準備のために二日連続やることにした。
土曜日に全てを確定させる。日曜日は仕事で時間が過ぎる。
月曜日はただやるのみだ。

追記::
むこうから絶縁を口にしてくる可能性もある。
昔から極端なこと言って俺を驚かせて困らせていた。
売り言葉に買い言葉で喧嘩していた。朝には何事もなかったようになっていた。
何事もなかったようになる異常さにおれは苦しんでいた。

あらゆる言葉や態度がおれのトラウマを刺激するだろう。
俺は絶対に耐える。トラウマに飲み込まれない。母親と完全対立する。

逃げて来た

今、母親にラインを送った。
さらに今その文章を確認しようとしたらもう既読がついていた。しんどい。
俺は今すごいパニックになっていると思う。既読の速さが気持ち悪い。

とにかくすぐにブログに逃げて来た。
この記事の入力画面を見てると落ち着く気がする。

今日のことを書こう。
朝はもっちゅりんというミスタードーナツの限定販売しているドーナツを買いに行った。
すごい人気と聞いていて10時半販売開始のところ、9時に行ったら誰もおらず9時だいから並ぶのはご遠慮くださいとのことだった。
10時ちょっと前に人がチラホラきて並びを作っていった。10時から並んでいいものだと思っていたから先頭になれなかったのが少し悔しかった。
10分前ぐらいに来ている人はもう列の順番的に買えなさそうだった。
従業員がそのことを列後半の人たちに伝えていたが希望にすがって誰も帰っていなかった。
ただ、各40個販売で各2個買えるということだったので、みんなが個数制限まで買えば20人まで、限界でも40人までなのだが、帰る人はいなかった。

もっちゅりん自体は新食感と謳われていたが普通に食べたことのあるもちもち食感だった。
味は普通においしかった。

帰宅して少し寝た。

吉本ばななの有料記事を見つけて、吉本ばななだからというだけで脳死で買った。
タイトルはクラウドファンディングなんちゃらみたいなやつだった。
有料記事なだけでに内容が察せれるような批判がしにくいのだが、イライラした。
俺と境遇が少し似ているのだが甘いと感じた。
記事のコンセプトや内容な文章的に本当にお金を払ったのがあほらしいなと思った。

はぁ。
このノート記事を見たときは吉本ばななにむかつきすぎてそのこと情熱的に書こうと思っていたのに、もうできない。
母親にラインを送ってしまった。
吉本ばななのこと批判できるのも今おれがしようとしていることを完遂してからがまっとうかもしれない。

母親へは会おうという趣旨のラインを送った。
向こうが了承するのなら日付を取り決めて早めに会うつもりだ。まさしく賽は投げられた状態というかもう後戻りはできない。

すごい状況だ。

まさか俺が自ら母親に会いに行こうとするなんて。もちろん再三書いているようにカウンセリング初期からずっといつかはやらねばならぬこととして語ってきてはいるがそれでも我ながらすごいと思う。

母親に会う目的は嫌いということを伝えるためだ。
母親は今俺が母親のことを好きか嫌いか確定していない状況にいる。俺は母親と表面上有効的な状態で消えた。
その後、数か月後に喫茶店で母親と一度再会しているが、そのとき母親は俺が母親のことを嫌っているかもしれないというかげりを全く感じさせないような感じだった。
つまり、今現在も母親は超理論により俺は母親のこと好きだと思っている世界観にいるかもしれない。
その可能性が気持ち悪いので潰したいというのが目的だ。

さらに付随して過去のことの認識についても話したいが、正直そこまで期待していない。

ひとまずこれぐらいにしておくか…。
母親と会えて何かが変わればいいのだが…。

そう、これは生命力的な行動だと思う。
それだけは書くか。これは自分を自分の気持ちを大事にするという行動だ。母親に会わなければ俺のある魂の一面が永遠に死んだままになる。おれは生命を全うしたい。生きたいと思う。
俺の家族は問題だらけだ。はっきり言ってこの状況で全員が助かるなんてあり得ない。全員沈むか、誰かを犠牲にして誰かが生き延びるかだ。
俺は明確に親を犠牲にして自分が生きるという意思のもと行動する。

そういえば吉本ばななの文章にも親が自殺するかもしれない恐怖と戦っていたとさらりと書いていたな。
あのさらりと書かれているフェーズに俺がいるのだとしたら俺が甘いのかもしれない。

本当に特大級のできことが起きる。
人生でかつてないほどの事件が起きる。しかも自らの手で起こそうとしている。
すごいところまできたもんだ。今日寝れなかったらどうしよう…。


追記:
本当に怖くなってきた。返信がすぐ来ていた。どこで会いますかとのこと。
話はすすんでいる。しかも敬語でや。
俺が敬語で話したからそうなるんやろうけどしんどい。
本当に怖くなってきた。こんなにあっさりと進むなんて。母親が自殺したらと思うと怖い。その罪悪感に耐えれるやろうか。それでも母親に会わなかったどのみち俺は死んだままや。
俺の視野が狭くなってるんかもしれへんけどこの2つの道しかない。

追記::
なんか感覚的に彼女と別れるときの感覚にすごい似てる気がする。
怖い夢見ませんように。