すごいおばちゃんすごい

今日はすごい胸くそ悪い話を聞いてしまった。詳しい内容は他人のプライバシーにささやかながら関わるため書けない。
ちなみに自分にとってはなにも害のない話でただそういう物語があるのかということに気を病んだ。

バイト終わりにジムへストレッチをしに行った。チェックインするときの受付の人がたまにしゃべる気さくなおばちゃんだった。
おれはぼーっと今日の胸くそ話のことをこころのうちで反芻していたせいか「なにか考え事ですか?」と聞かれた。
「え。。」と驚いてると「すごい深刻な顔をしていましたよ悩み事ですか?」と言われた。
その場は笑って過ごした。
俺はたしかに深刻な顔をしていたのかもしれないがそれにしてもおばちゃんの察知能力の高さと気遣いのうまさよ
チェックアウトのときにはうまくプライバシーに関わることはぼかしながらそのことを話せて気が晴れたのでよかった。

プールのときもあるおばちゃんが話しかけてきてくれてから少しだけみんなと目礼できるようになった。
すごいおばちゃんはすごい。

そう、そんなことを考えながら今日も今日とてストレッチをしていたら、足裏の親指の腹の皮がベリっとめくれてしまった。
なんだかピリピリするしめっちゃミリ単位で血がにじんでるような気がして一気に萎えてすぐにやめてしまった。

更衣室には水泳終わりの謎中国人がいて年末に食事をする約束をした。
なんだかちょっと会話がギクシャクな感じがしたのはたぶん気のせいだろう。

そしてここからが本題なのだが、、、、(俺はカウンセリングでも最後に一番を言いたいことを持ってくるタイプだ笑)
過去にももしかしたら書いたかもしれないが俺は重度の潔癖症、、、というかそれっぽい何かだ。
つまり自分独自の清潔ルールがある。おれはこれが自分自身の異常だと思っていて苦しんでいる。
そしてその最たるものがHIV感染恐怖だ。これを文字に書くだけでも本当にちょっと怖い。
おれはちょっとした傷口からHIVに感染してしまうんじゃないかという思いがある。(個人的に「世界崩壊体験」と同根だと思っている)
なので、今回の足裏の皮がめくれて血がミリ単位でにじんでいるような”気がした”らもう一気のこのHIV感染恐怖の物語が開く。
最近この”物語が開く”という表現が気に入っている。

俺はこれの原因が母のせいだと思っていた。母も同様な潔癖症のような性質を持っていて、その思想、恐怖感情をおれにぶつけ続けたので俺もそうなったのだ。という物語、、
しかし、最近また違う考えというかアイデアを持ち始めている。
「さようなら、ギャングたち」のあとがきに加藤典洋が「高橋源一郎は海抜0メートルに戻って書く」と書いていて、また内田樹村上春樹をフェアな人間だと書く。
宇野常寛は全てに対してフェアだと陰謀論に負けると書く。
俺はそこまで極端にはなれないが、フェアな人間だと思う。大きな物語の手放し(手放され)具合の大きい人間だと思う。いちいち海抜0メートルにリセットして考える人間だと思う。

全てに対してフェアすぎるから俺はHIV感染恐怖があるんだと思う。(なにかおかしいかもしれない気がするけどとりあえず、、)
宇野常寛陰謀論という言葉に持って行かれすぎたけど、あらゆる可能性を考慮していたら”人間的節度”から簡単に外れてしまうと考えたら納得いく感じがした。

そう、例えば、受験勉強なんてそうだ。
俺は中学の塾の先生を盲目的に信じていた。しかし、受験に失敗して、母が塾の先生を貶して、おれは大きな物語を失った。
先生は誰一人して信用できなかった。先生という生き物を馬鹿にすることから入っていた。
そして、よくわからん、怪しげな参考書のほうを信じたり、たしか7万ぐらいする受験必勝法みたいな情報商材を買ってしまった。(これはほんまの詐欺やと思う)
これは大きな物語を失った人間が陰謀論、リトルピープルに侵襲され人間的節度を失ったひとついい例だと思う。

じゃあどうすればいい?
それは俺にはわからない。

答えは永遠に知れずとも身体やこころが応じてくれると思うことにしている。(しかし、答えを探し出そうとすることは止められない)