俺は現在、32歳の年代だ。
同じ高校で部活仲間(おれは三カ月で辞めた)でご近所だった友人の結婚式に招待されスピーチを任された。
おれにはいろいろと負い目があって、参加するのにかなりの緊張があり、それについては前回のブログに書いた。
今回は、結婚式前日から当日、そして後日にあったことを書き連ねようと思う。
たくさん考えることや、思ったことがあったのだが、それはまだ、ふとした思いつきレベルでしかない上に、エピソードと同時並行で書く筆力はないので、それはまた(後編・考えたこと編)に書こうと思う。
では、さっそくだが、まずは結婚式前日。
おれはスピーチの具体的な内容はその前日まで考えてこなかった。なぜなら、それより以前に考えだしたら、結婚式当日まで猛烈に精密に考えてしまい疲労困憊になってしまうからだ。
だから、あえて勇気を出し、頭の中で話そうと思うトピックを考えつつも、実際にそれを紙に書いたりはしなかった。
そして、結婚式前日も具体的な一言一句は決めずにトピックだけ紙に書きだし、カメラ三脚をマイクスタンドに見立て、五回ぐらいしゃべる練習をした。
ジャケットを着て椅子に座り、司会の人に呼ばれ座席に座っている状態から起立するというところからの練習までした笑
ちなみに俺は成人式も就職活動もしたことないので、まともにジャケットを着たことがない。
そのとき、初めて一時間ぐらいジャケットを着ていたが、われながらかっこよくて気持ちがよかった。
それならば、なぜジャケットなんて持っているんだ?という疑問はまたいつか、、
そして前夜。一時間半前に着く超余裕のあるスケジュールを組み、寝れないことは想定済みだったので、最近、身についてきたヨガの呼吸法をもってして気を休め、寝ているか起きているかわからないような状態で朝を迎えた。
(何度かこういう経験はあるが、酒で寝ようとしても寝れずに翌日の体力を失うだけなので、飲まなかったのはなかなか経験に学んでいるなと我ながら思う。)
当日、朝。
前日に決めた予定通りに身支度を済ませ無事、出発。新幹線に乗り込む。
家でも新幹線でも何度かヨガの呼吸法、、つまり瞑想をして呼吸を深め落ち着いていた。(これもしっかり予定に入れてた笑)
本当にヤバい時はめちゃくちゃに呼吸が浅くなる。馬鹿みたいだったり怪しいやつに見えるかもしれないがヨガは本当に出会っていてよかった、、、
新幹線ではなんとなく思いつきでスマホで時間を計りながら想像でスピーチをしてみた。7分半だった。
そして、ホテルに到着―――。
クロークに荷物を預け、待合室へ、、
この時点で1時間ちょっと早くついていた。よくわからん広いゆったりとしたソファやらカウンターがある謎空間でウロウロしていた。
結婚式参列者用の待合室は見えたのだが、親族専用かもしれないと思い、入らなかった。
謎空間では、四人用とかの席しかなく、もし、これから人が増えて、おれがこのテーブルを一人で独占したら気まずいなと座れなかった。
少しすると、明らかに親族ぽくない、、たぶん新婦側の女性が待合室に入って行ったので、おれもついて行ってるようは見えない程度に距離を取りながらついて行き入った。
待合室の中でもほとんど人はいなかった。謎の寄せ書きみたいものに名前を書き記し、個人用の席を見つけたので座った。
しかし、よく見てみると、目の前に楽譜置きがあったので、やばいと気付き、諦めて四人掛けの席についた。
他にもそういう一人の人たちがちらほらといた。
座って待っていると、ぽつぽつと人が増えてきて周りが「久しぶりだね」とざわつき出す。
おれと同じように一人の人はもういなくなっていた。
かなりの孤独感だった。
それにただ、座っているだけで「シェフのきまぐれカクテル」や「シェフのなんとか酒粕クリームチーズ」やらを配ってきたり、
BGMとして四人組の弦楽器の生演奏が始まったりした。
あまりにものラグジュアリー空間すぎて息苦しかった。(絶対に誰一人として一人でいるはずのない空間に一人でいるのが主な原因だが、、、)
さらに時間が経つと、部活での中心的存在だった”S先輩”が現れた。
S先輩に話しかけるのは気まずかったが、というか、気まずくない人はいないが、、、
とにかく、S先輩には自分から挨拶しなければならないと、”一般”常識とかすかに残っていた運動部根性を振り絞り見かけるや否や即座に挨拶しに行った。
しかし、、、、、、、人違いだった、、、、、、、、、、、
ここで、かなり心が折れた。
とある友人二人以外、全員が高校生ぶりなのだ。面影で判断するしかない中、極度の緊張状態で人違いをしてしまった。
もう、「もしかしたら、、、!」と自ら声をかける気力を失ってしまった。
落ち着けるためにヨガの呼吸をする余裕もなかった。スーハースーハー。
ちなみに、のちのちに友人たちやS先輩にそのことを話し、あの人がそうだと言うとすごいそっくりだと納得してくれた。本当に不運だったのだ。
さらにもうしばらくして、唯一かすかに交流のある友人(S・T)が奥さんと共に現れたが、もうそれすら声をかけれなかった。。
ご祝儀渡しタイムにその友人の後ろに勢いよくポジションを取り、細い目で俺に気付けオーラを出しまくりやっと気づいてくれた。
その後はやっと活力を戻し、他の人たちとも話すことができた。
S・Tには俺がスピーチをすることが伝わっていたらしく、その話題になった。
会話しているうちに俺がするのは「乾杯の挨拶」だということに気付いた。
そう、「スピーチ」と「乾杯の挨拶」はちがうのである!!!!
もうこれ以上ないぐらいの緊張感が続いていたので気持ちの揺れる幅がなかったが非常にやばい。
通常パターンとしては新郎新婦の各代表が一人ずつ5分程度のスピーチをする。その後に乾杯の音頭を取る人間が舞台に出て乾杯をするというものらしい。
俺は「七分半」喋るつもりだと話したらみんなそれはやばすぎると笑っていた。まじでやばい。
おれは余裕ぶってへらへらしながら会話に興じていたが機を見つけてトイレへ行き、個室で台本の脳内編集をした。なんとか二分のものに編集してまた待合室に戻った。
思えば、新郎である友人に頼まれたときも「乾杯の挨拶」として頼まれたように思う。
本当になにを勘違いしたらこうなるのか、、、、たくさんの些細なことに万全な注意を払ってきたのに肝心なところからもうすでに終わっていた。
挙式が始まった。
新郎の人柄も相まって面白いヤジが飛んだりしつつ、シメるところでは全員が節度を持った態度で見守っており非常に暖かい挙式だった。
披露宴の部屋に移動し、スタッフさんに自分がするのは「スピーチ」なのか「乾杯の挨拶」なのか確認した。
やはり「乾杯の挨拶」で、スピーチ時間は2分でもう十分長いほうだそうだ。「乾杯の挨拶」に至るまでのだいたいの流れを説明してもらった。
ここでも、司会をする予定のスタッフさんに「一緒に頑張りましょう」なんて言って隣で聞いている人を笑わせて虚勢を張っていた。
緊張を意識したくなかった。ずっとヘラヘラしていることを心がけていた。
新郎新婦の入場があり、大画面にムービーが流れ、新郎の挨拶、そして、代表のスピーチが始まった。
後半の新婦側の代表は90歳のおじいちゃんで最後に「吟じます」となにかを吟じだした。
意表をつかれたような感じでドギマギしていた。この吟じが終われば俺の番なのだ。。
後々に聞くとこの時の俺はすごい頻度でお茶を飲んでいたらしい。おれはひたすらヨガの呼吸を、、、てかただの深呼吸をこころがけていた。
手は震えていた。
しかし、それを認めなかった。
30秒おきぐらいに胸が苦しくなるのと楽になるのが交互に続いた。
胸が楽なときに第一声を発せれればうまくいける、苦しいときに第一声を発せなければならなかったら声が出ないかもしれないと思っていた。
おじいちゃんのスピーチが終わり会場にシャンパンが配られる。司会の人が新郎新婦のプロフィールを読み上げる。
これらが同時に終わり、俺の番がくる手はずになっている。もう自分がどこにいるかわからない状態だ。
その時、隣のS・Tがジャケットのボタンをしめるように注意してくれた。現実に繋ぎ留められらような気がした。
そしてスタッフさんが来た。マイクはスタンドがいいか手持ちがいいかと尋ねられた。
家でスタンドスタイルを想定し練習していたので「スタンドスタイルで。」と答えた。
S・Tが「なんやねんそのプロっぽい言い方」と笑ってくれた。
このスタッフさんとの会話、S・Tのツッコミで何か始まるの前の流れができた。
おかげで乾杯スピーチは概ね、うまくいった。
のちのちに聞くと後半が尻すぼみでもっとちゃんと締めろよと言われたが、それはそれで愛嬌のある感じになったと思う。動画で確認したが会場の人たちも笑ってくれていた。
一気に肩の荷が下りた。
高校時代の友人たちともなんとなく滑らかに話せるような感じになったし、スピーチも終えた。
不安はほとんどなくなった。
披露宴から退出するときに新郎である友人と少し話した。目頭が熱くなった。
二次会は行くつもりはなかったが、行かない方がハードルが高かった。
よって急遽参加させてもらうことにした。そういう人は他にもいたので助かった。
二次会ではより話しが必然的に深くなった。ほとんどの人がおれが大学に行ってないのを知らなかったと思うのでそれを言えたのはよかった。
かなり言うのが辛かったがS先輩がその質問を振ってくれ、笑いに変えてくれたおかげで言えた。
隣の女子からは「今なにしてるの?」と聞かれた。
「衣料品の販売。。。」
「あ、もしかして衣料の商社とか?Rちゃんはそういうところで働いてるみたいよ」
「あ、いや。。。そんなすごいことじゃなくて。。」
その後、話しが深まらずにズレていったおかげで助かった。。。
おれにはまだ自分がフリーターだとあの場面でいう勇気はない。。。
二次会にも依然と7,80人はいた。。
そして、このS先輩については次回のブログで書きたいのだがたくさん思うことがあった。
ここで一応で書いておきたいのは、俺の非常に強いコンプレックスである高卒ということをS先輩がその場に応じた笑いに変換したくれた(されてしまった)ということだ。
俺は笑いに変わる予感が無ければ高卒であることを言えなかったと思う。つまり、S先輩のような話術(これも次回の詳しく書く)は現実的能力のあるしゃべり方だと思う。
そして、おれもかつてはこういった話術、思考回路の持ち主だった。
何か暗いこと、白けるようなことを笑いに変えてしまうということ、それを自己防衛として悪用していた。
笑いに変えるという現実的に実用性のある語り口は非常に大切だ。
しかし、”それだけ”ではいけない。そういう確信を持った。
そして、俺は影を持ち続けることに留まれた。
同級生で同じ部活の―――といった大きな物語の安心感。。その重要性と”それだけ”ではいけないということ。
俺はその二次会の場でいわゆるキョロ充的ではなく、外部の人間、腫れ物扱いされる人間としてのポジションにいることを自ら選んでいた。
その自分を誇りに思う。
まだ考えはうまくまとまっていないものの、簡単ながら取り急ぎ書いておく。
三次会も当たり前のようにあったが、俺は参加しなかった。
もうこれ以上は疲れていたし、明日に向けて体調を整えておきたかった。
次の日は前にブログに書いた視聴者かつ友人との二度目のご飯だった。
この日も非常に多くの楽しい出来事、そして考えさせらることがあり、後半に書こうと思っていたのだが、もう五千文字になろうとしているのでまた別タイトルで書きたいと思う。
最後に、披露宴の終わりに新郎と対面して目頭が熱くなったこと、、
俺は俺の感情がよくわからなくなるときがある。
この感動のようなものは大きな物語によって作られているだけなんじゃないか。。。?
あの涙は本当だと、なんのひっかかりもなく言える自分では”まだ”ない。
いや、まだというかずっとそうだろう。これはニヒリズムではなく自分自身の受け容れの一段階だと思いたい。
昔の俺「ダイアン」も今の俺「なんな」も"変わる"ということはない。ずっと同じ影と共にいる。
そしてこれからも、、、
テーブルでみんなの俺に向ける笑顔の裏側に「もしかしたら、おれのことを馬鹿にしているかもしれない」という妄想は無かったように思う。