「元ひきこもり」が100人規模の結婚式で「乾杯スピーチ」をしたということ。(後編・考えたこと編)――俺の「壁と卵」――

先日、友人の結婚式があった。そこでは高校生ぶり、つまりは約14年ぶりに会う人たちと会ってきた。
そして、新郎である友人から「乾杯スピーチ」を任されて遂行してきた。
タイトルにあるように俺は「ひきこもり」だった。具体的には高校を卒業してから家庭環境や学業不振、様々な理由で人や社会と接するのが怖くなり約3年間ひきこもっていた。
今もまだ負い目があり、今後もずっとそういう負い目のある人生だと少しずつ受け容れて始めれている。

今記事では、タイトルにあるように、また前回の記事で書いたように、考えたこと、、、特に「S先輩」と接して考えたことを中心に書こうと思う。
また、念のために書いておくが、この「S先輩」というのは自分自身の投影が過分に含まれていることを留意していただきたい。
詳しい過去や葛藤、出来事については内容はリンク先の動画や記事にて書いている。
www.youtube.com
peppeq.hatenablog.com
peppeq.hatenablog.com



なぜ気付かなかったのかわからない。
結婚式に行き久しぶりの友人たちと会い、変な空気になってるのを想像し、またスピーチで場を白けさせてしまったことを想像したとき、そこにはS先輩がいた。
おれはS先輩を特別に意識し恐れていた。全てが終わってからそれに気づいたように思う。

高校生時代――
部活自体の雰囲気はいわゆる運動部っぽい明るく、テンションの高い感じだった。俺はその雰囲気に完全にコミットメントしていた。
俺は先輩にいじられて可愛がられるような馬鹿な後輩キャラだったと思う。
S先輩は俺が三カ月で辞めた部活の二個上の先輩で中心的存在だ。明るくてムードメーカーでソフトテニスも強い。
憧れの存在で、「ダイアン」の名付け親だ。

俺が三カ月で部活を辞めた理由は学業不振だ。定期テストの点数が悪かったので母親に辞めさせられた。(後に成績があがることはない)
小学生のときも同じ理由でサッカーを二週間で辞めさせられた。そのことは一昨年に参加したある人の結婚式の二次会にてイジられて笑われた。
ソフトテニス部を辞めさせられたのは非常に辛かった。俺はソフトテニスや高校のソフトテニス部が大好きだった。それに、俺の友人関係はソフトテニス部で構築されていた。
その後の学校生活では同級生のソフトテニス部の友人とはなんだかんだ仲良くしていた。周りに恵まれていた。
しかし、先輩たちとは学年も違うので自ずと疎遠になった。


挙式、披露宴、二次会、、、100人も集まった結婚式でも先輩たちは中心的存在だったように思う。
暖かく和気あいあいとした和やかのムードを作っていた。
それはめちゃくちゃに面白かった。俺は先輩たちの作る雰囲気やムードに乗っからせてもらい、結婚式にすんなり参加させてもらっていた。ぎこちないところもあったがすごい充実した気持ちになった。

二次会で六人テーブルにてS先輩とこのような会話があった。
「ダイアン、大学はどこ行ったん?」
「行ってないんですよ」
「行きたい学部とかあったん?」
「なかったんです」
「それそれー気持ち気持ちー」(←大きな物語言葉と命名する)
そして、周りが笑い和やかなムードに、、
ちなみにその時に知ったのだが俺の出身高校は進学率が98%らしい。(なんともうさん臭い数字だ)
そのうちの2%がお前なのかと言われてそれでも笑いが起きた。

俺は進学クラスだった。大学に行かなかったというのは「何か」があった人なのである。
「大学に行ってない」というのを真面目に取り合いだすと場の空気が白けるのは必至なので、S先輩はなんとかオチをつけてその話題を引き上げてくれた。

この話術は非常に現実的だ。
深い話は問答無用で素晴らしいわけではない。場や時に応じて深めないこともまた大切だ。

この深めない話術、浅い雰囲気だけの会話、、、
俺が大学に行かなかったことを笑いに変えられる、、俺にとって重大な出来事、重大なトラウマ、重大なコンプレックスを矮小化させられる。
おれは場の空気、和やかな一体化した、、つまりは母性的な、、雰囲気に、飲み込まれる。
その生々しい瞬間にいた。

俺は楽しかった。

しかし、この空気だけでは、この「システム」だけではダメだと思った。
そう、「システム」だ。
先程、「それそれー気持ち気持ちー」というのに「大きな物語言葉」と命名すると書いたが、彼らは、いや僕たちは二次会のとき暖かな「大きな物語」の中にいた。
同窓の友、同じ部活動、友の結婚の祝福、、、そして運動部的な語調や言葉、、、
僕たちは全員が「システム」を担いし者だった。
俺にとって「システム」の”最たること”がS先輩だった。
俺が結婚式に行く前から漠然と恐れていた正体は「システム」だ。「システム」の権化としてのS先輩を恐れていた。
「システム」には受け容れられない俺の様々な白けるようなことは全て笑いに変えられた。
巨大な壁に投げつけられた卵のように、、、

自分自身が殻も中身もわからない状態になり、壁と一つになっていた。。。
ようでもあるし、持ちこたえていたような気もする。

前回の記事は影を持ち続けれることができたという観点から書いていたが、今回は自然と「システム」からの観点となった。
この記事を読んだ人それぞれに何か感じれることがあると嬉しく思う。