あんバター塩パンとカスタードブリオッシュ 700円と100万円

今日はカウセリングだった。
まだまだ本調子じゃないというか漫然とした感じだった。

帰りに少し足を延ばしてホームセンターで土鍋と接着剤を買う予定だったが、ほしい土鍋はもうシーズンオフで売ってなかった。
土鍋は先日割ってしまったから、接着剤は革靴の横が剥がれたからだ。
接着剤の説明書をよく読んでみると革には付きづらいと書いてある。最悪だ。
もしダメならGU(その他最安ブランド)の革靴を買おう。

初代の土鍋はアマゾンで2800円で買った。
現在では送料700円がプラスされていて3500円ぐらいだ。それが納得いかなくてホームセンターまで行っていた。
カウンセリングルームのある病院まで自宅から自転車で10分、そこからさらに自転車で10分の場所だ。おまけに坂道までがっつりある上に俺はこの頃また、膝が痛い。
ホームセンターからの帰り道にもう一件ホームセンターがあるのでそこも見てみたが案の定なかった。
10分程度の遠回りをすればさらにニトリとホームセンターをチェックできる。ニトリにもほしい土鍋はなかった。
この時点で全てを諦めていた。最後のホームセンターはボロボロのしょぼいところであるはずがない。
というか一件目が最大級の店で、そこになければどこにもない。
後には引き返せないので、最後のボロボロホームセンターで土鍋がないということを確認して、たい焼きを買って帰ろう。
しかし、来店した際、たい焼きはちょうど焼き直しのタイミングで、5分かかると言われた。
この時点で体力、時間ともに大いに無駄にしているくせに、5分は待ってられないので、すぐに退散。
せっかく遠くまで来た上に、このボロホームセンターは昔の家の近所なので、久しぶりに併設されているスーパーのパンでも買おうかと思い見に行った。
しかし、パンを目の前にして思う。俺はここのパンは試食か、40%引きでしか買ったことがない。
売り値そのままで買うのはどうしてもできなかった。
そうこうしているうちに3分も経ってしたので、もういちど、たい焼き屋に行けばいいのだが、すぐに退散したのでなにか恥ずかしくて行けなった。

帰路にて、なにか甘いものが食べたいと思いつつ、またいつものドラッグストアで適当なもの買うのかと思った。
いつもこんなもんやなと。
2時間弱も自転車ぶっこいで接着剤と歯磨き粉しか買っていない。

いつものドラッグストアに入る少し手前で、反対車線にあるパン屋がタイムセールの看板を出しているのが目の端に入った。
かなりダイミックめに車線を横断し、パン屋に入った。
小さいパン屋だったので入ったら買わずには出れないタイプの店だ。
そこでそこまで安くなってないパンを2つ買った。計360円。
まだ、食べてないのでおいしいかはわからない。しかし、なんとかいつもと違うのを買えたなとほっとしている。

あとは革靴の修理がうまくいけばいいな。
めんどくさくて後回しにしている。

ブログに今度書くと書いてあった父方の祖母の話を書こうと思う。

俺の父はド田舎出身だ。三人兄弟で、祖父は30歳手前でアル中で死んでいる。
焼き鳥屋とたばこ農家をしていたらしい。ド田舎すぎて焼き鳥屋をしている人がいなかったらしくけっこう繁盛していたそうだ。
父は祖父が家に帰ってくるのが嫌で休日は特に嫌いだった。(まるで俺のよう)
祖父が死ぬと、祖母は三人兄弟を親戚の誰かに棄てるように預けて、広島で一人働きだした。
父はそこでも休日が嫌いだった。休日は畑仕事をさせらるからだ。食事は団子汁(味噌汁に小麦粉を団子状に固めたモチのような物がはいっている汁物)が多かった。
俺の幼少期の記憶でもたまに父が母に団子汁を作ってくれと頼んでいておいしいと食べていた。
父はそのような環境で高校生まで過ごした。そして、警察に就職した。

俺が小学校三年生ぐらい?もう少し大きかったかもしれないころ、旅行と言う名目で家族で広島のおばあちゃんの家に行った。
今にして思えば、この旅行は父が祖母と再会するかなり心穏やかじゃない旅行だ。
どういう経緯で繋がりが再開し、旅行が決定したかは知らない。
広島のおばあちゃんの顔は覚えていない。
覚えているのは遊戯王カードを買ってもらったこと、ファミレスで麦飯を選択したら驚かれたこと(白米がいいと思っている世代らしい)、隣の部屋で創価学会の念仏をしていること、社用車を持っていること、父に100万円が入っている封筒を渡していることだ。

その封筒はリビングダイニングあたりで渡されていた。
おばあちゃん、父、母がダイニングテーブルに居て、俺は弟はリビングのテーブルに居たように思う。
何かを機に俺がダイニングテーブルに行き封筒を触った。親たち俺を煙たがって居たように思うが、全員が所在なく、俺に対して決定的なことを言えてなかったように思う。
そして、そこにはお金が入っていると教えてもらった。おばあちゃんが父へ渡していると教えてもらった。俺は無邪気にこの厚さは百万円はあると言って喜んでいた。

父は幼少期のときから母に甘えることができなかった。
そして、母と再会して、百万円を受け取ってしまった。
幸か不幸か警察官は忙しい。母不在による痛みを感じることもなく母と再会してしまったんだと思う。
もし、父が母不在による痛みを深く受け容れていたら、百万円は受け取らずに母を非難しただろう。
それが父の初めての母への甘えになっていただろう。
しかし、父は百万円を受け取ってしまった。その時の父はおそらく自分が自分でないような空白感を感じていたんじゃないかと思う。
抑えつけられた記憶が生み出す空白地帯だ。
祖母もまた、百万円を渡してしまった。渡すべきは百万円ではなく愛情と時間だったはずだ。
それにもまた尋常ならざる勇気がいることが想像できる。
父は今も母に甘えたくてスナック通いをしているのだと思う。

このブログを書いている隣の部屋で父は居るので聞けば、真相は全てわかるが、聞こうと思えない。
疎遠の叔母に話をきくのもありかもしれないとこれを書いていて思ったが、あまり好きではないので聞く気になれない。

このエピソードの登場人物全員が家族なのかと思うと不思議な気持ちだ。
俺には家族が居るんだなと思う。このエピソードを書いておばあちゃんの存在が確定され、遡及的にその間に父と母が居ることになり家族が居るんだとなる。

追記:父の話を書いているところで伝聞形「~らしい」「~だそうだ」みたいなのを毎回書くのがおっくうで断定で書いたけどそういうのってどうなんやろ。

「祖母」の表記が途中から文脈の関係上、「母」になったりしてて読みにくくなってないやろか。