ふぅ~

  • 昨日は大変だった。

今日は昼頃に父親に起こされて謝られた。
おかげで寝不足だ。
両親ともに相手の様子を鑑みるということができない人だった。
自分と相手の分離ができていないんだと思う。
だからこそか他人には二人ともすごい慎重だ。

昼ご飯を食べてまた寝て、予定していた革靴の修理へ向かった。
何気なくいつもと違う靴屋に行った、いつものところなら一週間ぐらいかかるのにそこだと翌日仕上がりだった。
俺は最近、こういうちょっとした会話のときに声を気持ち低くして堂々と喋るように心がけている。
そうしたらなにかうまくいきやすい感じがしている。
アホっぽいけど本当にそうしていて、本当にそう感じている。

イオンの中の靴屋だったんで無印良品で買い物して、眼鏡屋でサングラスを見た。
来年の夏は買おう。

  • 父に昨日、どうだったかと聞かれた。記憶に全くないらしい。

記憶にないところの説明をしてほしそうだった。
一瞬説明しようかと思ったけど一切しなかった。
説明しているうちに改善してほしいという欲求が出てくるように思ったからだ。
しかし改善はしない。
これはどうしたってまた繰り返される。
この全てを諦めていくプロセスは母との関係に似ているように思う。

父と暮らし始めて多分、5年ぐらい。
思えばここ五年ぐらいで母のフィルター無しで父を見ることになっていたんだと思う。
父についての自分をよく考えるべきだと思った。
まず最初に思ったのは、両親の不仲が表面化してから離婚に至るまでの間の時期。
いや、その前ぐらいからか、両親の不仲が表面化したのは高2ぐらいだったと記憶している。
でも、その前の中2ぐらいから父への軽蔑が始まっていた。その軽蔑の種類はごくごく普通…ではないけど、一般的な「父を軽蔑する母」からの影響されたような種類のものだった。
その間の時期のことをもっとよく思い出したい。
軽蔑と憧れと恐怖が入り乱れている。

次に思ったのは、これもまた思えば特徴的でなんで今まで気付かなかったのだろうと思うんやけど、
父との二人暮らしが始まってから、父がくれた帽子を気に入ってかぶっていたり、父の影響で煙草を吸ったりしていた。
明らかな同一化があると思う。
その時は「父が加害者で母が被害者じゃなかったんだ、父も異常だが母はもっと異常だったことに気付いた。」と、高揚してる時期でもあったと思う。

この異常って言い方が雑やな。
母と父を比べると、母はとにかく俺へのベクトルが働いていた。だから、一緒にはいられなかった。父は俺には全くベクトルは向いていない。(というか向けれないんだと思う)
だからか、母よりマシに感じるけど、ときどき見てられないという気持ちになる。
ベクトルとしては俺が父に向いている。父は俺を見ていない。俺が父を見て悲しくなったり恥ずかしくなったりしてるんだ。

完璧と思っていた存在に穴があることを認めれることによってエディプスコンプレックスは解消されるけど、
俺はこの父の穴を認めることでエディプスコンプレックスが解消されるのだろうか。
それはさすがに違うと思う。
俺が幼いとき、つまりは一般的にエディプスコンプレックスが解消されるであろう時期にはたしかに父には権威性があった。
しかし、それは小学校高学年の子が低学年の子に威張るような権威だったと思うし、それにそのときは母は父を軽蔑していたように思う。
そう、思い出した。その時の俺は、
多分、小学校2,3年ぐらいのとき、俺は父を「お前」と呼んでいた。俺にはなんの悪意もなかった。「お前」なんだから「お前」でよくない?なんで怒ってるの?と心底、不思議だった。
それでも、父が怒りまくって殴るのを数回繰り返し、「お前」と呼ばなくなった。
一見、これはエディプスコンプレックスのプロセスの父への反抗みたいに見えるかもしれないが、俺目線ではここでもう「父」ではなく、なにか腕力の強い人みたいな感じだったんだと思う。

そして今現在としてはもはや父には人間性すら感じない、動物みたいな感じだ。ボケてはいないけどモウロクとしている感じだ。典型的な定年退職して老いる人みたいな感じ。
この状態を何と言ったらいいのかよくわからない。一応、ファザーコンプレックス?

本当にコンプレックスだ。
例えば、1年前に父は禁煙していた。一か月ほど禁煙して成功したと威勢を張っていた。
俺は禁煙してるからわかるけどそんなものは成功とは言わない。
実際、しばらくして煙草をまた吸い始めていた。声がでかく意味のわからない鳴き声みたいな言い訳をおれにしていた。本当に発声からしてなにかおかしい。
その父を見て本当に恥ずかしかったり怒りだったり情けない気持ちだったり複雑な気持ちがわいてきた。

「父」ではなにかだと見てる自分と、「父」だと認定してるがゆえに恥ずかしがっている自分がいる。

これが問題だ。