反抗期の娘の気持ちがよくわかる。

今日もジムでザ大阪と会った。もう顔も見たくないし声も聴きたくない。生理的に気持ち悪いまできている。(今日は挨拶の時にサングラスを上げて目をひん剥いた後にフンって笑うのが最高にきもかった。そのあとに肩を叩いて笑ってどっか行くのもきもかった。)
関わりたくないから声かけられても素っ気ない感じで自分の運動に集中していた。自販機でプロテインを買ってきてくれたのでそれもあとで飲まずに捨てておいた。
なんなんやろうこの自分の余裕の無さは。
普通にしてたらそれで実害はなくていいのに、それでも我慢できない。

俺は相手の意を汲んで相手の気持ちのいいことを言おうと必死になってしまう。それとザ大阪との相性が最悪だ。
結婚式のときは先輩にいじられながらも無理に運動部的なノリで気に入られようとしなかった。ザ大阪ともそういうふうにしたい。
例えば、ザ大阪がめっちゃ寒いギャグを言ってつっこんでみたいなことはもう絶対にしない。面白くなさすぎるししんどすぎる。ひたすら苦笑いしていよう。
ザ大阪の世界観に飲み込まれたくない。
相手にどう思われてもいい。そう、相手にどう思われてもいい。
「こいつ俺の事嫌いになってるんじゃないか?」と思われたほうがむしろ願ったり叶ったりだ。

今日もザ大阪に素っ気ない態度ばかりしていたら今日はえらい元気がないなと言われた。もうずっと元気がないふうでいよう。

しかし、ザ大阪からしたら本当に意味がわからんやろうな。
ザ大阪はいつも通りやし、飲んだ日も俺は楽しそうやったし。
俺が勝手に暴走しているだけだ。こういうのを本当のコミュ障というんじゃないやろか。
いわゆるコミュ障ぽく話下手なのを全面に出したりするのは俺目線からしたら自由気ままでノンストレスやし、そういうのをキモイと思うひとは弾かれて、受け入れてくれる人は残ってくれて、理想的な人間関係を構築できそうに思う。
ただ、受け入れてくれる人がいないということで苦しんでるんやと思うけど。

なんか俺ってほんまに変やな。
急にアクセル全開で全てが嫌いになってしまう。

あ、そうそう。
それで思ったけど、俺はこういう誰かと接したりして、「あのときのああいうの嫌やったな…」みたいなのを思うことが多々あるわけやけど、それのタイムラグはめっちゃ短くなってると思う。
マクド時代(20歳ぐらい)はそれこそ9カ月ぐらいかかった。今回は翌日にはもう不快感を感じていた。
それは成長?だと思う。

追記:
なんかこの感じって女子っぽく感じる。
ザ大阪=俺が飲み込まれてたザ大阪の世界観=父 みたいな感じで。
全てがキモくなる反抗期の娘みたいな感じで。


追記::
「余裕がない」とは社交の為の演技をする余裕がないということだ。
おれのバイオリズムに余裕のありなしの軸もあるように思う。
オープンなときと全てが嫌でクローズになってしまうバイオリズムだ。
なんか俺って本当にダメだな。。。