普通のブログ

質問がなされないと回答はない。
例え相手から回答として返ってきそうな内容が発せられても、それはこちらからの質問から出てきたものじゃないと回答とは言えない。
質問と回答は言葉による人間関係またはコミュニケーションの原型だ。

数日前、前回ブログに登場した女性社員の人といつも通り閉店間際の時間帯に二人で仕事をしていた。
その時は俺が商品出し、つまりは段ボールから服を出して、服を掛けたり畳んだりする作業をして、女性社員は商品整理をしていた。
その日もとてつもなく忙しく、品出しも商品整理も量は膨大で時間はなかった。
40分ぐらい作業をしたところで、女性社員は俺に、、、
というか、ここで「女性社員が」ではなく「女性社員は」と書くと一気に小説ぽくなるな。最近どう書いたらブログっぽく、どう書いたら小説っぽくなるのか考えている。

女性社員は俺が作業しているレジ前のところに来て「めっちゃ疲れました。もう頭おかしなる。代わりません?」と言ってきた。
彼女はずっと商品整理をして精神的に疲弊しているように見えた。

今日はそういったことを思い出していて、俺も昔は作業にそんな風な感情を抱いていたなと思った。
今は作業に慣れたか、感情を無視するのに慣れたのかあまりそういうことを思わなくなってしまった。

そこからさらに思った、何で知ったかは忘れてしまったが、父親がまだ働いていて、内勤になり腐っていたころの話になる。父親は年功序列的に職位は若手より高く給料も高いものの全く仕事はしないでいて、それを若手女性社員の人が父の上司にあたる人に文句を言ったそうだ。
たしかそこで何かいろいろとあったように思うがいまいち思い出せない。
とにかくその時に思ったのは、その若手女性社員の人は父をものすごく軽蔑していて、きっと生理的にも気持ち悪がっているんだろうなということだ。
その人がもし、父に息子がいて妻がいることまで想像したら、憐れんでいたと思う。そこまで瞬時に想像してしまって恥ずかしかった。

あれ、ここからどう繋げようと思ってたか忘れてしまった。

とにかく、俺は家で感情を殺すのに慣れ過ぎてしまっている。そうだ、そう。
その若手女性社員は父とちょっと関わっただけで不快感がすごかったわけだ。よくわかる。そして俺はずっと同居している。俺が家で少なくともほとんどの感情を殺さないと生きていけないのはむしろその父の部下だった若手女性社員ならわかってくれるかもしれない。

この頃はいかに父にビクビクしながら過ごしているか、そしてどれだけの不快な感情を感じないでいようと過ごしているかが明確になっているように思う。

いつも通りすぎる内容だな~。
ほかにもいろいろと書きたいことがあったけど冷静に見たらどれもいつもと同じこと書いてるやんって思いやめることにした。