何が繰り返されていたのか。

これから徐々にメンタルが不調になるかもしれない。
その予感とパターンを発見したので、それを書く。多分、途中からネガティブな感情を抑えられないと思う。

前回記事で一日のタイムラインのだいたいがわかるかもしれないが今一度、整理する。

11時起床、14時図書館へ、16時帰宅、17時バイトへ、22時ジムへ、24時夕食、その他。
ただのクズな32歳やと思うねんけどそれはほっておいてくれ。俺も俺なりに必死なんや。

帰宅からバイトへ向かう間に30分ぐらい時間がある。この時間はいつも軽食を食べたり、ブログで書こうと思ったことのメモをしていたりする。(だいたい図書館の帰り道にブログで書こうと思うことが浮かんでくる)
今日は暑かったので帰宅したらすぐにクーラーをつけた。
そこを通りかかった父に電気代がやばいからクーラーをつけないでくれと言われた。俺は「またか」と思ってすぐにクーラーを消した。
というのも、夏はクーラー、冬はファンヒーターを付けるなと言ってきたり、もっと付けてもいいと言ってきたり、気分によっていろいろと言ってくるから今回はたまたま電気代の支払いが多かったのかパチンコで負けたのか、とにかくいつも通り父は気分で言ってきたのかと思った。

そのあとも「と、とにかくやばいねん。い、家やばいねん。このままやったら破綻や。は、破綻するねん。このままやったら、す、住まれへん。家、住まれへん。」と続いた。
ちょっと雰囲気を出すために会話調で書いてみた。父親の言葉の調子がちょっとは伝わるかなと思いもある。軽い吃音だったり、目がいつも泳いでいたり、発言の組み立てが悪く、質問を重ねないと意図がわからないことが多い。

話を聞くと、生活の収支で赤字になっているとのことだった。(家賃、水道光熱費が高く、年金、父の労働収入、俺からの家賃2.5万ではまかなえていないということ)
今の貯金は何円なのか聞いたら600万円とのことだった。何円が赤字になっているのか聞いてみたら「や、やばいねん。そんなんすぐなくなるわ」とかなんとかで回答はなかった。
たぶん、漠然と怖くて計算していないんだと思う。

母親との会話でもそうだった。いつも「あんたを大学に行かせるお金がない」とかなんとか、お金に関する不安をいつもかきたてられていた。(そのわりにうちは食費などかなり高ったと思う。なにかを具体的に考えるのが怖かったんだと思う(おれもそうやけど…))
具体的に何円足りないかとか、貯金はいくらなのかとか、そういったことは教えてくれなかった。というか知りたくなくて知らなかったんだと思う。
なので、おれはそこから来る無限の漠然とした不安を全て引き受けさせられていた。母の嘆きを何度も俺が慰めていた。俺の学費がない懸念やから俺が嘆きたいところやが…。
そんな環境でなんとか受験勉強ぽいことをしていた俺はなかなかに頑張っていたなと思う。

父がいきなりこういうことを言い出したのには思いつくので二つ理由が考えられる。
一つはずっと家に引きこもっていて鬱っぽくなって不安が募ったから。
もう一つにYouTubeショートやその他色んな動画で不安を煽られたからだと思う。
一つ目は緩やかな不安のトリガーで二つ目は劇的な不安のトリガーだといえる。

こういうことを考えていて、なおかつ父の風貌、髪型の感じやひげの感じや、身体のたるみや表情の緩慢さ、歩行の姿勢などなど鑑みると軽度のうつ病者だなと思った。もちろん病名で見てみるのなら父のうつ病はなにかしらの病気の併発だと思う。
と、、、いうかだ。ここで改めて実感する自分もまたおかしいと思うが、父はずっと精神科に通っている。もう10年以上は通っているんじゃないだろうか。そこでうつ病診断を受けていて投薬されている。俺は明らかにヤブ医者だと思っているが、父にとってもヤブ医者であることのほうが都合がいいのだと思う。そういう医者と患者の共犯は少なくないんじゃないかと思う。もちろん両者ともに不幸だと思うが。
この精神科の話の延長線上にあることも書きたいがプライバシーに関わると思うのでやめておく。

父は金銭面で俺をあてにしたいようだ。もっと稼ぎのある仕事をしてほしいと言われた。
それはつまり俺からの家賃を上げたいということを超えて俺をあてにしていることだと思う。
家賃をあげると言われたら交渉の余地はあるものの、受け容れざるえないと思う。しかし、それを超えて父の面倒を見るつもり毛頭ない。

俺はこの10日間ぐらい絶好調だった。
なんなら今日もそこそこ好調だった。しかし、今日の一件で歪みが入ったと思う。
これからじわじわと気分が落ち込んでいくんだろうと思ってしまう。

なにか自分が楽しく日々を過ごしているのに、父か母かのどちらかが、なにかしら不安になり、それをおれに当ててきて、俺が不安になる、、、もしくは「楽しくいてはならない」「元気でいることを控えないといけない」と思うようになる。といったリズムで人生を生きてきたんだと今日発見した。

今日のバイトでも少し、感情がぎこちなくなったような気がした。もちろん気のせいかもしれないけど…。
いつもの感情のぎこちなさに戻ったとも言えるかもしれない。
バイトが忙しいの本当に救いだった。むしろあえて忙しく振る舞っていた節すらあるように思う。

バイトではいつもの人たちいつも通り和気あいあいと働いているのだが、その時に本当に久しぶりの感情がわいた。
説明が難しいが、高校のときによく感じていた感じで、昨夜や朝に自殺するだのなんだのの喧嘩をしていて、そこから学校に行けば、みんな普通に和気あいあいと学校生活を送っていて、おれももちろんその中の流れの一部のはずなんやけど、俺だけ本当はちがうんやなといった感覚というかなんというか…。
この人たちはなにかルートがあるけど、俺にはひたすら、、、、(破滅のルートしかない、、、)みたいな感覚というか、、
心臓が縮むというか、本当に引きつる笑顔を隠せないというか、
とにかくそういう感覚を久しぶりに感じた。

なんか懐かしいな。
書いてると思い出したけど、昔は例えば、夜に父か母に不安や怒りやいろんなことを当てられたり、両親が体力の限りまで喧嘩して、俺は部屋でその物音を入念に聞いていた。
喧嘩するのはほとんど一階で二階に駆け上がって来る音が聞こえるとビクっとする(今でも似たような音を聞くとビクっとする、そういうので小さいのは毎日ある)
駆け上がって俺の部屋をあけるのはいつも母親でそこで泣いたり父への怨念を語る。俺はそれをひたすら慰める。(俺は今でも人を慰めるのには慣れていると思う。)
そこからは色んなパターンがあるけど、例えば、父も二階に上がってきてそこで「ヘッ」みたいな笑いだけする。(社会でも小心者ほど鼻で笑うことが多い)
それで母親は怒ってまた廊下で口論する。父親はニヤニヤしながら応戦する。俺は自分の部屋は出ないで開けっ放しになったドアからそれを警戒しながら見る。
母親が手を出して。ひっかいたり、父親の腕を噛んだりする。そこで父親は急にマジ切れして殴りにかかり、そこでたいてい俺が仲裁に入る。おれもたまに殴られる。
そのあとまた母親にいろいろ言われて、母親の体力の限りその繰り返しが続く。母親は家ではボロ雑巾みたいな服を着ていて(服を買う金はある)、もちろん殴られ後もボロボロで、顔も泣き崩れていてボロボロだったのを思い出した。
そして、なんとなくだが父も母もその喧嘩に居心地の良さを感じていたと思う。二人ともそういう家庭を望んでいたと思う。



思い出話にふけってしまったが、実際に俺は父とずっといたらそれこそ本当に破綻する。
わかっているがどうしようもないのでカウンセリングに行っている。焦っても仕方がないと思いつつ焦ってしまう。そして、焦ると気持ちがふさぎ込む。
今年はまだじっくりカウンセリングに専念して、来年に独り立ちの準備して、再来年には家を出たいなと思ってしまう。
そういう皮算用が焦りのもとなんやけど…。

追記:
この厄除けにはモーニング娘。をどれぐらい摂取すればいいんやろ笑