身辺雑記+サラバ!の感想(ネタバレあり)(読了者向け)

  • いつものスーパーが長らく冷凍うどんを切らしている。

なので、いつもとちがうスーパーに行った。19時台に行ったら魚が安くて嬉しかった。
ヨーグルトを買おうとしてたら多分、中学時代の塾の先生がいた。いや思えば小学生時代かな、とにかく1年ぐらい教えてもらった記憶がある。
母親が塾でヒスって事務所でみんなで前で謝らされたときの謝罪の対象の先生でもあった。
俺は塾の先生のほぼみんなと仲良かったし好きやったから声かけたいところやったけど、俺の顔が見える範囲でも向こうは気付いてないみたいやったし、名前を言っても覚えてないやろから声はかけなかった。
ワイヤレスイヤホンをして、でかいリュックとウエストポーチをしていた。
昔からパソコンオタクぽかったけど今でもガジェットオタク感があった。

  • YouTubeのショート動画を一つ消してみた。

なんかさすがに見てられんなと思うやつをひとつ。他にも消していったら全て消してしまいそうやからそれだけにしておいた。

  • 友達の海外駐在が確定してその彼女からサプライズ動画を作りたいと言われた。

ちょっとめんどくさい。

  • 睡眠、運動、食事は大切だな~と身に染みてわかってるつもりなんやけど、最近は掃除も大切なんじゃないかと気付き始めてるように思う。

なんでも昔の生育環境に繋げてしまうんやけど、俺の母親は睡眠、運動、を軽視していた。食事と掃除は祖母のトラウマがあるみたいで完璧を求めてなにもできていなかった。
母と住んでいるときは何度か掃除をしようとしたがパニックになるので掃除できなかった。

  • 久しぶりに弟の夢を見る。

カウンセリングでの影響があるんだと思う。これはいいことだと思うけど正直、プロセスが納得いってない。次回にいろいろ聞くつもりだ。
今更ながら弟は「家族」だと気付いた。
弟だけがまともに話ができる家族だと認識していた。でも、今の今まで家族として弟のことを全く考えてこなかった、そして、頑なにちゃんとした話し合いをしてこなかったのはなぜ。
恥ずかしいから、だとしたらなぜ、恥ずかしい。多分、俺が父のリピートをしているからだ。俺が「恥ずかしい父」となっている。

読み終えた時はなぜか耳鳴りがすごかった。最近、涙だったり心臓だったりメンタルと肉体がちゃんとリンクしてる感じして俺的にはいいと思う。

最後の場面、エジプトの子とサラバと言い合う場面。あの時、主人公はエジプトの子と自分は決定的に隔てられていることに気付く。
それは時間によって育てられた化け物だと主人公は認識していたけど、俺的にはそもそも隔てられているということを主人公はやっと認められることができたんだと思う。
主人公は色んな人と疑似的な一心同体関係を結ぶけど、その中でもエジプトの子とは一番密接だった。しかし、その時点でも二人は当たり前のように隔てられているはずだ。
その隔たりを一番無視できたのがエジプトの子だったんだと思う。
日本の子だと外野が絶えず存在するので二人の世界になれない。相手が外国人なんで二人の世界になれる。

重要なのが、当時はエジプトの子の言葉が理解できて、大人になると理解できなくなっていたことだ。
当時、理解できていたのはつまり自分の世界観で理解していたということだと思う。つまり高いレベルでのバイアスがかかっていたんだと思う。
大人になると、というか様々な経験をしてきた主人公はやっと「相手の言っていることがわからない」「相手と自分はちがう」ということを認めることができたんだと思う。
当時最も一心同体だった人間を相手どって「自分と他者の隔たり」を確認することが主人公にとって大事な儀式なんだったと思う。

サラバ!」は、まさしく過去の自分に向けられた別れの言葉だ。

なぜ、主人公にとってサラバが特別な言葉として刻まれたか。
他にも長い人生だしいろいろあったはずだ。
ただ、相手の顔色を伺い続ける自分に自ら別れを告げたかったんじゃないのかと思う。

エジプトの子との別れの一度目は親に「引き裂かれた」別れだった。それは自分自身の人格も「引き裂かれていた」サラバだっただろう。
二度目は主体的だった。自らエジプトの子に別れを告げて過去の自分にも別れを告げた。


エジプトの子にも、自分自身にも、出会わなければ、別れる(認める)こともできない。(俺は別れることは原理的に不可能だと思っている)
主人公はこの小説を書き進めながらひとつひとつの自分自身を認めてサラバしていたんじゃないかと思う。