なんとも言えない感じ。

最近、なんだか調子が悪い気がする。運動や食事、睡眠は乱れていない
体調が悪いとか、こころの不調だとかそういうことではないように思うけど、何かがよくないように思う。
頭の回転も鈍いように感じる。

ここのところTwitterを更新していない。
普段は毎日の食事のツイートや、適当に思ったことを書いていた。
しかし、ある時にふいに、この場にいたくないなと思い、更新するのをやめてみようと思った。
やめたときはこの場にいたくないとまでは思わなかったけど。今にしてみればそう思っていたように思う。
いつもしていたことをやめてしまったから、なんだか調子が狂っているのかもしれないと思うし、何かの調子が狂ったから更新するのをやめてしまったとも思える。

それに付随して思ったのはブログも少し変わってしまったと思う。
いつもならジムのことや一見どうでもよさげなことを書いていてそこから本題といった具合だった。
ああいう何気ない文章が自分にとって大事なことだったのかもしれない。
ここ最近も以前のようにジムのことや色んな小さな出来事で考えたりメモしたりすることはあるけど、それをわざわざ書くに値しないなと思い、書かないでいる。
なにか変な虫が歯車に挟まってしまったような。

「さようなら、ギャングたち」を読んだ。旅行中には「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ。
それはなにか読書とは言いがたい感じだったのでノーカンとすると、だいぶ久しぶりに小説を読んだことになる。
小説を読むのは本当に自分にとっていいことだと思う。読んでる期間中は見応えのある夢も見る。

「さようなら、ギャングたち」を読み始める前はiPadYouTubeをよく見ていた。期間にして二週間ぐらい?
ずっと見ているうちにYouTubeのホーム画面が嫌になってきた。
アプリを開くとサムネイルが六個自動的に目に入って来る。それがしんどくて嫌なものも魅力的なものも自分のこころを動かすようなチャンネルを全てホームに出てこないように非表示にした。(チャンネルを非表示にするというボタンがある)
そのあとに更新してもまた色んなチャンネルのサムネイルが出てくるのでそれも非表示にするというのをずっと繰り返した。
何日間もしてもホーム画面に納得がいかなくてそもそもホーム画面が嫌いなんだと気付き見ないことにして、小説を読み始めた。

Twitterに居たり見たりするのが嫌になったり、YouTubeのホーム画面が嫌になったりするのは共通のこころの作用があると思う。

前回のブログでは「親ガチャ」問題に言及している動画に触れて怒っていた。
書いて一晩経つと後悔や不安や恥ずかしさがあった。
どうしてあんなことを書いてしまったんだろうと思ってしまった。
いつもなら、不快になるようなことを見聞きしてもなにも反応しないようにしている。しかし、実際には反応は溜まっていく。

俺は反応しないことに関しては上手くて、母親との関わりおいても全てを諦め、SNSでは2チャンネル時代から半年ROMれを地でいってきた。
そのことが相まってか感情の起伏はなくなった。同時並行的にあらゆる自明性を無くしていったように思う。閑話休題

もし、前回ようなブログを書かなかったどうなんだろう?
この疑問が自分の中に生れるが、その先の考えが全くない。
感情をため込むのも嫌だし、かといって書いたあとの何とも言えない恥ずかしさというか怖さというか、そういうのも体験したくない。

追記:「さようなら、ギャングたち」のあとがきは加藤典洋だった。
中盤が冗長だと書いていて、そういうことだったのかと思った。
読んでいる最中は中盤はなにかやらかしてるな~といった感じがしていた。ドキっとするときもあるけどインスタントな感じというか。のちのちに自分で見返すと恥ずかしくなりそうな文章だなと思った。
序盤は最高で終盤は良いけどモチーフが学生運動ぽくて古いからまぁまぁな感じ。
古臭くない作品なだけ学生運動ぽいのが出てくるとそれ自体の古さが際立つ。

追記:前回ブログを書いている時に、俺はなにか正義感のようなものを感じているというか、背負っているというか、、そういう要素が自分自身にあったように思う。
Twitterでゴシップに言及し一刀両断、正義の鉄槌みたいな感じだ。
前回の記事を書きながら俺はきっとそういったことにかなり気を付けていたと思うけどそれでもなにか滲み出ている気がする。
理想は俺自身として何も背負わずに書くことだが、それは怖い。

今日は酒を飲む。ワイン一本。
火曜日はジムが休みだからこの日まで我慢してきた。
ゆっくり飲もう。明日がしんどくならないように。