我慢ならん。高須幹也。「親ガチャ」という言葉。

※愚痴っぽい内容です。

www.youtube.com

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動画の人は整形外科医の高須幹也だ。
「親ガチャ」という存在を認めつつ、「親ガチャ」という言葉を発する人たちへ「親ガチャ」という言葉を発すること自体の損を訴え、アドバイスによってより良い方向へ導きたいそうだ。

俺は「親ガチャ」を使っている人間はその損を少なからず自覚していると思う。なんならそういう言葉で親を蔑むことによって深く傷ついている人もいると思う。それでも使わなければ自分をたもてない人なんだと予想している。
高須幹也からしたら今一度、損得勘定をして使うのを控えたほうがいいということなんやろうな。
俺としては「親ガチャ」という言葉を使っている人間にそんな余裕はないと思っている。
無論、かっこいいかっこ悪いなんていう余裕はないだろう。(動画ではかっこいいかっこ悪いの価値観が強調されていた)

現実世界で「親ガチャ」はおろか「毒親」、「ヤングケアラー」の言葉も聞いたことがない。
見るのはネット上のみ、しかも匿名の文面でだ。使う人間は後ろめたく、損を知っているからだと思う。
そこからでも「親ガチャ」を使っている人間は「親ガチャ」という言葉がいかにグロテスクかと知っていると思う。
高須幹也も「親ガチャ」を見るのはネットだけだろう。そのネットですら言うのをやめた方がいいと言ってんいるんだと予測する。

提案、アドバイスによって人をいい方向に導きたそうだ。謝罪動画でもそこを強調していた。何を謝罪していたんだろう。
俺はそういった態度こそ不遜な恥知らずで、人を馬鹿にしていている謝罪すべきことだと思う。
俺は謝罪動画が出る前に一個目の動画から実はチェックしていてその時もブログを書こうか迷いつつ、ネガティブな感情の記事が連続しているように思い控えた。。。しかし、謝罪動画が出て我慢ならなくなった。

「親ガチャ」という言葉をわざわざ発する人間は産まれることをガチャという言葉に換喩し価値を貶めて救われようとしているんだと思う。

そして、わざわざそういう言葉を発することによって自分の価値が下がることは自覚していると思う。
それに傷つきつつも言わないとどうにもならない人がたくさんいるんだと思う。
傷つかなくとも、自分の価値が下がることこそがまたその人の救いになっていて積極的に使う人もいると思う。

これは正誤のために書いているんじゃない。俺はただ自分のために、「親ガチャ」で自分を蔑み、救われようとしている人たちに寄り添っていたいと思い、書かざる得ない。
そうでなければ俺は救われない。

追記:
加えて書いておくが、俺は「親ガチャ」ではないけど「毒親」を罪悪感で使えなくて苦しんでいた。
どういう言葉を当てはめるかは人それぞれやと思うけど、自分の中で当てはまるべき言葉が当てはまらない時は本当に苦しい。

俺は「親ガチャ」は使ったことが無いから想像に想像を重ねたことでしかないし、大袈裟かもしれないが「親ガチャ」という異常すぎる毒々しい言葉が使われるとき、その背後には生き死にがあると思う。
損得勘定やかっこいいかっこ悪いの価値基準に照らし合わして発言するかしないかが決まるものではないし、生き死にの境にいるときにそのような価値基準を出されてもムカつくだけだろう。
少なくとも、この動画を見て、損だからやめよう、かっこ悪いからやめようとなる人はいないんじゃないだろうか。
仮にいても、より一段階辛いところに行ってしまうだけのように思う。

追記::
最初はYouTubeのコメント欄に書こうかと思ったけど、コメントへのコメントが攻撃的なのが多くて怖くなってやめておいた。
俺のコメント自体も攻撃的になったと思うし、、、

追記:::
俺はどんな馬鹿気だ言動でもその人なりの妥当性があることなんだと思っている。もはや信仰に近いと思う。