コンゴ紛争と毒親問題(社会派)

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コンゴ紛争」は世界最大級の死者を出している戦争らしい。
しかし、日本ではぜんぜん報道されていない。
この動画投稿者はその理由はわかりやすが無いからだと言っている。

パレスチナイスラエル戦争」では「難民の大量移動」、「検問所への密集」、「避難所キャンプ」など視覚的にわかりやすい緊急事態がある。
コンゴでは多くの人が国内で避難生活をしていて人道危機が分かりづらくなっているそうだ。

コンゴでは緩やかな戦争状態が続いていて、これを「低強度紛争」と言う。
紛争といえども、毎日戦闘をしているわけはなく、時折、武装勢力による戦いがあるということだ。
武装勢力は村と共存しており、多くの見えない犠牲者が存在しつつ、絶妙なバランスで”秩序”が維持されており、「緊急事態の慢性化」に繋がっている。
それにより国際社会の監視の目も感覚麻痺しているそうだ。



この動画を見て、スケールがすごい違うが毒親問題に近いように感じて、辛さの一端がおれにもわかるように思った。
紛争があるかもしれないというのは、場合によっては実際に紛争があるより辛い場合があるように思う。
というのも、想像力は無限大だ。実際にある紛争よりも酷く残虐な紛争を頭では簡単に想像できてしまうし、それが可能性としてずっとよぎるのはれっきとした緊急事態よりも辛いということがあり得るはずだ。


この動画の投稿者は現地取材において、コンゴは見かけ上では平和に見えてここに武装勢力がいるのかと信じられなくなると話していた。

毒親問題も視覚的にわかりにくいところに問題があるだろう。
多くの場合において子供は親の問題を世間に隠し平穏に見せると思う。
俺も親の異常さを自覚してからはそういったことを恥に感じ隠してきて(引きこもりだったから隠すも何もなかったけど)また逆に学校でいじめられたことは親に隠していた。

毒親問題はコンゴ紛争と同じようにたくさんの人が苦しんでいるのにあまり取り上げられないトピックなように思う。
「被害者の罪悪感」による声の上げづらさ(罪悪感を持つことが悪いことではないと注意書きしておく)
また、世の親の潜在的加害者意識、毒親意識があるように思う。
母はやはり飲み込みの欲望を持ってしまうし、父は情けなさを持っていると思う。これも持つことは悪いことではないと明記しておく。
ただのこの意識を持つ人間、つまり社会の親全体の共犯隠ぺい態勢のようなものがあるのではないかと仮説している。(社会の主軸は”親”という肩書きを持った人間で構成されているとして)

緊急事態の慢性化。
毒親社会の慢性化。

おそらく多くの家庭で飲み込む母、情けない父の要素はあるんじゃないかと思う。
それが良いように働く家庭もあれば、悪いように働く家庭もあるんじゃないかと思う。

最近、中国が平和より国家を大事にするという思想の動画も見た。
それにより考えたこともあるけどけっこう過激になりそうだから書こうか迷う。
戦後、日本はどうして平和なんだろうか?平和と感じるとは?
国家とは俺にとっては大きな家だ。
国家も地域も家族も全てが地続きだ。
つまり、俺の家関係の考えは国家と言い換えて考えてみてもいいかもしれない。

俺は平和な家で全てを精査しつつ色んな矛盾を抱えながらなんとか人間的であろうとしている。
苦しいがそうするほかないように思う。