スッキリとモヤモヤ

久しぶりにジムに行った。といっても、まだ病み上がりの身体なのでシャワーだけ浴びた。
ジムに入る前に謎中国人に教えてもらっていたローソンのかわいい店員というのを見に行った。
実際にけっこうかわいかった。

帰りは謎中国人と一緒になり車で途中まで送ってもらった。ローソンの女の子の話になり「今から行ってなんぱする?」と言い出した。
もちろん俺にそんな勇気はない。無理だと伝えると、そんなんだからダメだと軽く説教された。
決定力が大切。一歩を踏み出さないと物語は開かないと言われた。まさしくその通りだ。
俺は既定の物語に閉じこもっている。いつかは出たい。
しかし自分が間違っていたり劣っているとは思わない。裕福な家庭で育ち、親と仲が良く(多分)、語学堪能で独立して仕事を成立させている彼には俺の抱えてることの複雑さが想像できないだろう。
できる人もいるのはわかってるけどただのコンプレックス炸裂。
そして逆もまた…というやつでもあるんやろうな。

身体はいい感じに回復してきたので、忘年会がてら28日にその謎中国人とおでんを食べに行くことにした。
二件目に多分行きつけのバーに行くことになると思う。ぜんぜん行かない行きつけのバーやけど笑
とりあえず名前は覚えてくれている。
年が明けると水泳をちょくちょくするつもりだ。色んなプールに遠征しようとそれも謎中国人と話した。

29日には中学時代の友人と忘年会で近所の中華屋に集まることを話したら、あそこは汚いから行かない方がいいと言われた。
どうして?と聞くと言えないけど汚いから行かない方がいいと言われた。
最初から中華屋の話をしなければよかった。予約を変えようと思ったがどこもいっぱいで変えれそうにない。
こういう無限の可能性を孕んだ話が一番聞きたくない。

最近はまた「ラカン入門」で精神分析の熱が高まっている。謎のオリジナル思想記事を書く日もあるだろう。アイデアはたまりまくっている。

両親との関係性で個人的に目指すところが最近変わってきているように思う。
ずっと物理的にもこころ的にも完全に親を棄てることを目標としてきた。それによる罪悪感などの色んな気持ちに今は整理をつけているんだと思っていた。
しかし、親は完全に棄てれることができないと最近思い始めてきた。というのも、こころがどうしても親に期待をしてしまっている。
つまり、いくら物理的に完全に関係を断ってもこころの中で生き続ける。そしてこころはコントロール不可能だ。
現実として親との距離感がどのようなものになっていくはわからない。もしかしたら、完全音信不通にもなれるかもしれない。でも、ほとんど絶対にこころは親に期待するのを止めない。
こころは頑固だ。諦めるしかない。あらゆる経験や感情を精査してそう思った。
そのこころに応じた距離感を作るのが今後の課題だ。(親との意思疎通は不可能だと思っているので目指そうとは思っていない。)(こころに応じた結果、完全音信不通になれると最高だ。)
「スッキリ」したかった。しかし、それはまさしく、影を棄てることに等しい。
「モヤモヤ」を抱えて生きていくしか道はない。それがよくわかってきているように思う。

こんなこと考えていると、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」はなかなか奥深いエンディングやったんじゃないかと思う。
「スッキリ」しないですごいギリギリな形で全体的な「モヤモヤ」を抱えてたんじゃないやろか。
そして、抱え続けてきたからこそ「街とその不確かな壁」が出来上がったんじゃないかな。
それはちょっと言いすぎか笑