御厨←なんと読むでしょう

「ミクリヤ」です。神の台所とかそんな意味らしい。
めちゃくちゃかっこいい名字やな。

今日のジムはお風呂だけ入りに行っていた。もうおれも本当におっさんだな。
二十歳前後のときはジムにお風呂にだけ入りに行くだなんて考えられなかった。いや、むしろ軽蔑すらしていた。しかし、そんなおれも今やゆっくりお湯に浸かって晩御飯の献立を考えてます。
今日はネギ焼きうどんにするつもりだ。早くこのブログを書き終えないと。てか冷凍うどんのストックってまだあったっけ。。。

ジムの帰りはいつもの謎中国人とロッカーで喋っていた。おかげでセーム(水泳用のタオル)を忘れてしまった。明日電話しないとな。
喋っているうちになんと日本の毒親問題の話題になった。もちろん俺が誘導したわけでない。ただ、謎中国人が文化差を語っているうちに自ずと向こうからその話題に入って行った。
彼は俺の両親が離婚しているのを知っていて何かワケアリなことは察しているみたいだった。毒親問題は個人問題としても社会的問題としてもかなり詳しいのでまた木曜日の食事のときに話そうと思う。
本当に彼からそんなこころの問題の話題が出てくるなんて意外だった。ここには書かないが彼にも顔色が濁る話題があるようだ。
みんないろいろあるんやなと当たり前で大事なことを再確認できたような気がする。
木曜日の食事はお互いの中間距離にある隠れた小綺麗なおでん屋にするつもりだ。彼は中国風の注文であれもこれも3個ずつで頼むと言っていた。本気なのか冗談なのか、、おれはゆっくり過ごしたい。

ラカン入門」は第一章の最終項目の中間まできた。第一章のおさらい的な内容でついて行きやすいのだが、訳文引用が大量にあってやっぱりしんどいみたいな感じだ。
しかし、ラカンの理論は本当に面白い。真面目に読んでしっかりとそれに応えてくれる感じがする。

何度も精神分析や哲学的な本を読んでいると理論的なものとの距離感がうまく取れるようになってきたように思う。
特に「疾風怒濤精神分析入門」を読んでいるときは自分への重ね合わせがひどくて冷静じゃなかった。
ここのところはロジカル発狂は少なくなってきたように思う。

読書のバランスのとり方にロジカル度の調整というのを意識してみるといいかもしれない。
あまり難しい本をずっと読んでいるとさすがに息が詰まるしね。
ラカン入門」は願うことならば12月までに読み切りたい。そして1月からは頭が柔らかくなりそうな本を読みたいと思っている。
ラカンの理論が自分の中に落ち着くの待ちつつ柔軟なこころをもってして2月を迎えたい。

追記:
急にブログのアクセス数が増えてた。なぜかわからないので触れないつもりでいたが編集部のおすすめ記事欄に載せてもらっていたらしい。
どこかに載ったんやろなとは思ってたけど実際に目にすると嬉しい。
こんな殺伐としたブログを編集部の人はよく読もうと思ったな。
もっと面白い記事もあるからそっちも目に留まるといいな。