「オカマ→LGBTQ→多様性」「毒親サバイバー→ヤングケアラー」 (社会派)

以前に「ヤングケアラーと親ガチャ失敗の言葉の扱われ方」と「LGBTQは一般に飲み込まれた」というのをブログに書いた。
そのときに、いわゆる毒親サバイバーは一般に飲み込まれることはないだろうと書いたが、ヤングケアラーという言葉でもうすでに飲み込まれ始めてるんじゃないかと思った。

ゲイ、ホモ、レズ、オカマなどの言葉はLGBTQと一般化されて、さらに多様性と一般化されている。
直接的に表現せずに社会に取りこむものの実際は臭いものに蓋をしてるように見える。異常者を精神病に、、キチガイ統合失調症と称するのと同じように見える。(医学ではなく社会学的に見たら)

ヤングケアラーも同じように見える。若くして(すなわち大人になったらある程度することを)ケアさせられている人というふうにも読めるし、ケアという言葉に子の主体性を感じさせるようにも読める。一部肯定せざるを得ないのがムカつくがリアリティとは全く異なる。
毒親、親ガチャ失敗、、、、毒親サバイバーはヤングケアラーと称されて社会に取り込まれる未来がめちゃくちゃ見える。

俺はそれはあまりいいことではないと思う。
問題の根は深く、表面的は社会的承認は一層分、自分自身が自分自身を受け入れるのに難しくなるだけなように思う。

仮説に仮説を重ねたがいい線いってると思う。