八方美人

右肩がやや痛い。あんまり調子に乗らないように。自戒自戒。
最近少し瘦せたような気がする。けっこう嬉しい。

「成熟と喪失」(江藤淳)を読み進めている。あまりにも自分との一致と自分の感覚とは別角度からの言葉によっての新発見がたくさんあって少しキャパオーバーな感じだ。
あまりにも書けすぎている。観察、分析、表現が鋭く深すぎると思ってウィキで著者を調べてみた。表面的なことしか書いてなかったのであまりぱっとしなかったが、江藤淳の最期は自殺で妻の死をきっかけに意気消沈したからだと書かれていた。余計に混乱が深くなる感じがした。

俺は小1のとき軽くいじめられていた。(じめじめした内容にならないのでご安心を)
「あゆみ」というの名の通知表には「八方美人」と書かれていた。言葉の意味がわからなかった、意味がわかっても言われる意味がわからなかったので余計によく覚えてる。
今にして思えばその先生は慧眼だと思う。
まだうまく整理できていないが、俺は母に嫌われたくなかった、しかし、母は気分屋なので俺は瞬時にその気分の波を乗りこなし嫌われないようにする。
よって俺は人の気分をずっと気にして、その感じがいじめやすい感じになったのだと思う。ここの論理の繋がりが自分でも弱いと思うが蓋然性は高いと思う。
今こうして書いている文章も気を使って(何に?)甘く書いている。

1,人間関係の基礎は「子―母」とする。
2,俺は常に母に気を使って「母性」を獲得していたとする。
1,2より、人間関係における「快」を得るために常に相手に気を使って自分を偽ることすらいとわなくなる。

俺は全ての人間に対して「母性」を見出しているのかもしれない。
不十分だった「母性」の獲得努力をずっと続けている。なので常に「他人」に「母」の影を見て気を使い疲れる。
俺にとって真の「他人」はいない。といえると思う。

人は「母性」なしに生きれないと思う。この永遠に手に入らない「母性」に絶望しての「成熟」なのか。
絶望を与えてくれる「父」もいない。
半年前に全く同じことを考えていたように思うなんだか振り出しに戻ったような感覚がある。

今回はなんか少し重くなっちゃったな、、


追記:
メモ
思い出した、肉感的関係だ。
母子関係をそう表現していた。
あらゆる関係を肉感的関係(自然的関係)に帰結させる。
眠いので詳しくは書けない。