返答不能(カウセリング関連)

うつ病者のある一例では朝に起きて昼前には疲労困憊で寝たきりらしい。
内面での葛藤?みたいなものが激しくて外から見れば何もしてないように見えるものの、エネルギーを消耗してしまうそうだ。
俺もここ数日はそれの軽度のようなものだと思う。
というのも旅行の準備?というか心配で謎に疲労困憊になっている。

今日はカウセリングがあって、そういった話をした。
「何に備えているのか?」という問いにかなり虚を突かれる気持ちになった。
本当に一体何に備えているんだろう。その答えになにか大事なものがあるように思う。
カウセリング上ではかなり沈黙が続いた。そんな穏やかなものでもなかったかもしれない。最近は何が苦しいのか頭を抱えて考え込んでしまう。
明らかに普段より落ち着きがない。なにをもってして返答ができないという不能に至るのかがわからない。

生育体験の話。
俺は「規則性」と「脈絡」のない家庭で育ったように思う。
具体例を書いてみたがよくわからなくなったので書かないでおく。とにかく法則性の薄いカオスな中で育った。

読み飛ばし可
これにより自分自身の「言語」の繋がり(シニフィアン)が安定しなくなったように思う。
現実は言語によって覆い隠される。「言語」の繋がりが法によって安定させられていなかったら混乱してしまう。
二つの言葉があれば(例えば、0と1)意味は無限に作れるのがシニフィアンの特徴の一つだ。しかしそれは概念上の話であって、人が生きていく言語世界だと「りんご」と「食べる」では意味は限られているべきだ。
俺は少し限られていない。
小学生のときに本があまり読めなかったり、中高と現代文が苦手だったのもそのせいかも?

俺の世界観は非常に不安定だ。
おおげさに取ってもらいたくはないが例えば、ガス元栓が閉まっているか確認するとき、閉まっていると声に出して指差し確認をして目を離す、、、その後、一瞬にしてもしかしたらさっきは閉まったように見えたけど次見たら開いているように見えるかもしれないともう一度確認してしまう。
仕事でのレジ精算でも液晶上での数字と紙に書かれている数字が合っているかを確認する際、画面の数字を見て紙の数字を見てその後にもしかしたら画面の数字が”変わってるかも”しれないと再度確認する。

母の気分の如く、全てが規則や脈絡なく動くかもしれないという不安がどこかにある。

規則性、脈絡、、、、一定感、継続性、論理性と言ってもいいかもしれない。

俺が極端に感染症を恐れるのもそのせいだと思う。
そして、即死的妄想というのもまた大きな特徴だ。
些細なミスが死に繋がるような緊張感がある。

発達障害では一瞬が繋がりなくコロコロと転がっていくらしい。
俺は一瞬一瞬が全てだ。そこに生死がかかっている。(おおげさに書いてるよ)



「何に備えているのか?」という問いへの答えはこのへんのことに答えがあるようなないような。。
今は本当に疲れている。疲労困憊だ。2月8日が出発の日。
2月3日までなにも考えないことをここに宣言しておく。そうしないとまた暴走してしまう。
結婚式のスピーチのときは直前までなにも考えないことにうまくいったのにどうして今回は暴走してしまったんやろ。
スピーチ準備のときは自分の準備過剰な性格を考慮して勇気をもってして直前まで何も考えていなかった。

今は海外でスマホを使えるようにsimカードの準備中だ。それが終わったらもうなにも考えないでおこう。疲れた。
本当に何に備えてるんや。。何か成功のようなものがあるんやろうか、、旅行に??

全く関係ないけど今日、店で「千の風になって」がBGMで流れていた。
「そこに私はいません、眠ってなんかいません」という歌詞がなにかいいなと思った。
喪の作業みたいやん。

今回はいつもは非公開にしているカウセリング関連の記事を公開上で書いてみた。
なんとなくだ。