8年間。

今日は約二週間ぶりぐらいにヨガをした。
金曜日の先生は断トツに好きだったのだが来週で終わりらしい。KONAMIに籍は残すもののしばらくは止めるそうだ。
自分が住んでいるところから往復千円のところの自宅でマンツーマン指導もしているそうだがそれはさすがに躊躇してしまう。
なにか、自分が不審者なのような感じがするし、そこまでのめり込むものでもないように思う。
相手から提案されていて不審者がられることはないだろうとシャワーを浴びているときにセルフツッコミをしていた。なにかこういう感じの思考回路を持ちがちだ。

金曜日の先生はもともとは水泳のインストラクターだったらしい。怪我をしてヨガを始めてハマったそうだ。
他の先生との違いは三点あり、まずは音楽をかけないこと。
これはなかなか難易度の高い指導方法だと思う。喋りの技術が必要だ。そしてヨガは基本はゆったりとしたものなのでまくし立てればいいというものでもない。
第二にポーズのネームバリューに頼っていないこと。例えば、戦士のポーズという誰しもが知ってるポーズがある。このポーズには様々な要素がありこの先生は各要素を順番に組み立てながら最終的に戦士のポーズに誘導する。
他の先生の場合、けっこうなステップをすっ飛ばして戦士のポーズに至る。歴の浅いインストラクターだとやるべきことをしようと、こなすことに集中してしまうのだろうと思う。
金曜日の先生はその日のメンバーの感じですぐさまにポーズの組み立てを変更してしまう。
音楽を流していないのはそのせいもあるかもしれない。

彼女がいなくなってしまうのは本当に残念だ。
金曜日のヨガは20時に終わる。来週の金曜日は20時から忘年会の飲み会でヨガは休むつもりだったが、最後はがっつりとしたヨガで締めようと思いますと言っていたので忘年会には30分遅れで参加しようと思う。



今日は「風の歌を聴け」の冒頭部分を少しだけ読んだ。初めて読んだのは一年半ぐらい前かな~。Twitterで調べてみたけど読了ツイートしてなかった。ちゃんと逐一したほうがいいな。
昔読んだときにはなにも感じてなかった言葉に今はビシバシ感じるものがある。
その中で一番ひっかかったのは「8年間」ということ。

しかし、それでもやはり何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕に書く事のできる領域はあまりにも限られているものだったからだ。
8年間、僕はそうしたジレンマを抱き続けた。–––––8年間。長い歳月だ。

残念なことに彼ハートフィールドには最後まで自分の闘う相手の姿を明確に捉えることはできなかった。結局のところ、不毛であるということはそういったものなのだ。
8年と2ヵ月、彼はその不毛な闘いを続けそして死んだ。

8年か。俺は今のバイトを初めて何年が経つんやろうと思った。
俺は本当に曖昧に生きてきたから何年のころに何をしていたかという記憶が弱い。
写真を見返しているとおそらく2016年の5月から始めていそうだった。
月は適当で始めたときは半袖だったのを覚えている。
つまり、俺は7年と7ヵ月、同じバイトをしている。24歳からか。
24歳と書くのにすごい違和感を感じるな笑
17歳のときはあった。18歳もあった。しかし24歳なんてなかったように思う。
もちろんその前後も。
もう少しで8年や。あんまりいい気持ちではないよ。


村上春樹の小説って時間に関する数字をけっこう具体的に書くという特徴があると思う。
引用文を書くのがなかなか気持ちよかった。いつか写経もしたいな。
タイピング写経もいいもんじゃないやろか。

追記:
ラカン入門」は前に挫折したところらへんまで読めてきた。
143ページ、よくわからんメビウスの輪がどーたらこーたらがわからなさすぎて実際に作ってたらしんどくなって挫折したんやった。
今回はいけるやろうか。