読書生活について 影の自覚 海辺のカフカ 世界の終わりとハードボイルドワンダーランド 

カフカと世界の終わりとハードボイルドワンダーランドの自分の発見と思ったこと。
まずは発見から。

海辺のカフカ

カフカくんが森へ深く深く入っていく、もう後戻りはできないかもしれない。
それと並行して星野くんもがんばりますわな。
星野くんが自我的なものメタファー、カフカくんが無意識なメタファーだとしたら
(主要人物は場面場面でいろんなメタファーに変幻自在していくとして)
なにかただ、目の前の現実を処理して必死になっているとき、自覚できないだけでその人の裏側では実はものすごい戦争が起きていて、
人知れず死の際のところで影は揺れているのかもしれない。

・かなりうる覚えなんやが、物語書きの綺麗な図書館の女の人いましたわな。
あの人がたしかカフカくんに自分の物語を焼いてくれと頼んで去るんでしたっけ?自殺するんでしたっけ?
そんな感じやったと思うんですけど。(自分の中に残った物語が主観的真実なんだ、、(暴論))
あの人はもう自我的には死んでいたのかも。あとは影(シャドー)を消化して死ぬだけの人やったのかも?


「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

・夢読みの男の子がいましたわな。たしか物語読み?やっけ、そういうの。
で、もうひとり。謎の計算できる人がいて、二つの物語が平行して進んでいくみたいなんやったと思うねんけど、
(しかし、書いてて思ったけど、人の夢をそのまま追体験するのが仕事ってなかなか地獄やな)
謎の計算男を自我的なメタファー、夢読み男の子を無意識なメタファーとする。(夢読みの男の子にさらに影がいて、二重影になっててややこしいのやが、、)
世界の終わりとハードボイルドワンダーランドも海辺のカフカと同じように、外部世界と向き合い現実的に奮闘する自我(計算男)、そのバッググラウンドで無意識(夢読み君)もまた自覚されない死の淵をいったりきたりする。
そして、その夢読み君(=無意識=影(シャドー))の死の淵をさまよう仕事というのがまさしく夢読み、物語読みというわけで。影の生活とは物語読みの生活と言えるのかもしれない。そしてそれが外部世界と向き合う自分を救うことになる。

「読書生活について」

てなわけで自分の読書生活もその感があるなと思って、、
現実との生活があって影の陰性の生活がある。物語が自我が影と向き合う媒介になってくれている。
”自称陰キャ”が死ぬほど嫌いで(陰キャと自称する人ではなく、陰キャにカテゴライズされるのが嬉しそうな人)
それでその反面自分の陰性を認められずいたが、陰性のない人間は人間じゃないと知る。
でも、文学も必要としない、泰然自若の極みみたいな人もおるしな~、、まぁ、それはその人の神話であって、自分には自分の神話があるということですかね、、。