エア水泳

水泳に行ってないのやが水泳のことを考えていた。
道具を一新したいと思っている。
最近、例の中国人経由で色んな人と仲良くなりだして、各方面から水泳道具がださいと言われる。
おれの水泳道具はアマゾンのスターターセットのやつだ。

調べてみるとメーカーは水着がアリーナかミズノ、ゴーグルはアリーナかビューがいいみたい。
アリーナで揃えようかなと思う。
グランフロント大阪にアリーナショップがあるのだが、心斎橋にジュエンという水泳専門店があるのを教えてもらったので面白そうだし買うならそこにするつもりだ。
ゴーグルはプロ仕様モデルでも5000円以下で安い。
でも、プロ仕様モデルを使うのはちょっと恥ずかしい気持ちがある。
どうしよう、、


「疾風怒濤精神分析入門」を読んだ。ラカンめちゃくちゃいいなと思った。「ラカン入門」も読んでみたいと思った。
読んだことで思ったことを本に直接メモしててブログに適当に羅列してまとめたいんやけど今はやる気が出ない。

夕べの雲」の「大きな甕」を読んだ。
読み方によってぜんぜんちがう印象の物語やと思う。一見するとちびまる子ちゃんとかでありそうな話やけど文学好きならひっかかるようなメタファーがけっこうある。
ちょっと寓話的にも感じていて、俺の中での寓話と言えば、坂口安吾の「桜の森の満開の下」と太宰治の「魚服記」なんやけど、両方ともあからさまに暗い空気が漂っている。
「大きな甕」は寓話的でありながらじっとりというよりもほわほわしてる感じ。
日常のワンシーンのしょうもない迷いとか、傍から見たらなぜそうなったみたいな滑稽な展開や、傍から見たら会話がなぜ成立してるんだみたいな、そういうところへの観察眼もすごい。
奇跡的なバランスの作品やと思う。言い過ぎかも。。


追記:
「疾風怒濤」で純粋なラカン派の精神分析というものを知った。ようは自由連想法しか使わないで分析主体はベッドに寝転ぶスタイルの。
この本によると俺はいまは心理臨床をしている。臨床心理学や精神分析箱庭療法などなどミックススタイルのやつだ。精神分析との決定的な違いは治ることを目指している、健康を目指している、ということだ。
精神分析は特異性を引き出すことを目標にしている。

ラカン派の精神分析を受けてみたいと思った。
しかしぐぐってみてもよくわからなかったし、値段も高そうだし、また最初からするのも手間だし、とにかくコストがかかりすぎて現実的に無理だ。

心理臨床はおれに主導権があって目的自体を俺が変更可能で、特異性を引き出すことを目的にすることも可能だ。
しかし明確に特異性を引き出すことを目標に設定しようとは思えない。設定しなくとも実際おれは一回は特異性を感じたことがあると思っている。
ラカン派の精神分析に惹かれたが、もうここまできてしまっているし俺は俺なりにラカンを勉強して心理臨床を続けていく。できる範囲がおのずと我が道となる。