草案【「自然」の発見】 他者的契約が自然的契約を肉感的契約とする (オリジナル思想)

母性を自然的契約からではなく肉感的契約から得る。というのを語ってみる。
屋上屋に架しているだけかもしれない。
真剣に読むと頭こんがらせるかもしれない。

まずは画像。

人間関係には三段階ある。
1,自然的契約、生まれたままの混然一体とした関係。
2,他者的契約、他人同士の関係。
3,肉感的契約、肉体関係があり母性、父性をお互い与えあう関係。

産まれた赤ちゃんの時は母子一体幻想があり、母子は自然的契約を知る。
その次に父の介入により、他者的契約を知る。
その次に、お互いが他者でありつつ一体感を持っている肉感的契約を知る。

つまり、他者介入のない母子は人間関係は自然的契約しか知らないことになる。
なんとなく、当たり前に、絶対に繋がっている関係だ。もはや自然そのものと言ってもいいかもしれない。

ここから少し言葉遊びのような感じになるのだが、
彼女に母性を求めるといったらなにか気持ち悪い感じがすると思う。
しかし、いわゆる気持ち悪い感じの母性を求めるとはこの理論から言うと【母子一体の自然】を求めているということだ。
自然的契約しか知らないとそういうことになる。

カップルでも彼女が彼氏に料理を作りたいもしくは、作ってもらいという欲求があると思う。
それは疑似母子関係だと言えると思う。しかし、他者的契約を通じ、肉感的契約を知っている場合、この疑似母子関係は自然的契約にはならず心地よい母性贈与、授与になる。

どの契約上での母性の贈与、授与があるかが大切だ。


ここで問題になるのが、自然的契約の幼稚さ気付き、肉感的契約を得たいものの、他者的契約を知らない場合どうしたらいい、ということだ。
他者的契約を知るためになにか父性的なものへ挑戦する。ということも自然的契約の幼稚さに気付いた時点で母性的安心感を失っているので怖くて無理だ。
ここで無限ループになる。

ここは精神分析的、箱庭療法的、全体性をもってしか処理ができないかもしれない。

それとも、自己に母性を見出し、それを安心材料に父性へアタックし、他者的契約の存在を感じ、リアル女性と肉感的契約の存在を感じるか。。
集合的無意識を信じるなら、自己に母性を見出すのも可能ちゃ可能。
(今までフロイトちっくなのにここで一気にユングになる笑)


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俺の料理好き、家事好きは自分の中に母性を見出し、そのかすかな母性性を他者にコントロールさせないようにしてるのだろうか。

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自己とも他者的契約はありえるだろうか。

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他者的契約によって自然から切り取られた肉感的契約こそ母性。

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神話と日本人心p24~27 世界の始まり
古事記はまず天地があり神がいる(自然生成型)
聖書は神がいて天地が分かつ。(神生成型)

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母性/父性の二項対立の前に自然がある

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自然は母性的にも父性的にも振る舞う
時に呑み込み、特に分割する。めちゃくちゃだ。
統合失調症のような状態。
過去には統合失調症のような症状は分裂病と言われさらに前には神がかりと言われていた。
神=自然とすると合点がいく。

追記::
自然をもってして自然を制する。
【自然】から出てきた日本人のこころの問題は、全体性(=自然)を対象とするユング心理学箱庭療法でもってして癒せる。としたら、
河合隼雄はやっぱすごい。