カラマーゾフの兄弟 発見やら感想やらを残しておく ネタバレ有り

いやーーーーーーーーーーー
疲れた~~~~~~~~~~



昨日の深夜に五巻の解説を読み終えたんですけど、訳者の解説で目から鱗的な発見がたくさんあって感動してんけど
ちょっとオナニー的な部分もあれ正直あるよね笑

五巻構成にこだわったというけど解説であそこまで熱出すんやったら別巻にしときやって思った笑
ライ麦サリンジャーは翻訳の最後に解説を入れるのを断固拒否してそれに困った訳者の村上春樹は別巻にて思う存分に解説したということがあるけど
そういう構造が理想的なのかもしれないね(経済的な理由は考慮しなければ)




ちょっとネガティブなことが続くけど、訳語においての「懐メロ」って言葉だけはさすがに気になった笑
あきらかに軽く軽くしようというのは伝わってきたけどやりすぎやろ~って
まぁもしかしたら原文のほうで「懐メロ」という言葉を発したキャラは「懐メロ」的な死語を使った故のあえての「懐メロ」かもしれないが。。。

しかし、なんやかんや文句言っておきながら、僕が他人にカラマーゾフの兄弟を勧めるのなら光文社古典新訳を勧めると思います。
新潮社は読んだことないものの、カラマーゾフの兄弟は本当に複雑だからできるだけ簡単なのをまずはじめに読んだ方がいい。

時代は1870年でロシアでキリスト教でという異文化でそれに非常に曖昧で断言しないある意味本当の人間の描かれ方がされていて、
その曖昧さゆえに多方面に幾層にも抽象的な解釈のレイヤーを挟むことできてしまうがゆえ、本当に難解です。(それぞれの読者にそれぞれの真実を許す)





あまりにも難解で量も膨大なため、読後ですぐ具体的な振り返りをして、全体の総括や部分の突き詰めた言及をする気持ちにはなれないんだが、とりあえずで今書きながら思いつくことをつらつら書きとどめておこうと思う。

これは解説に書いてあったのだが、当時のロシアでは「ございます病」が時代病としてあったらしい。これはようは他人に怯えびくびくして全方位にこびへつらう人が増えたみたいなことらしい。
これは現代の日本でもいえることだと思って、共通点だと思った。

そして、カラマーゾフの兄弟では登場人物が非常に感情豊かである。ほぼ日本文学専の僕からしたらその感情の起伏を受け入れるのが一番の難解であったぐらいで、「感情過多」と言える。
一方、現代の日本は「感情過少」だと思うので、ここは相違点である。

ここから何かが導きだされるわけじゃないんやけど、この共通点と相違点の発見が嬉しかった。




ラストシーンの「百姓が意地を通した」の謎

これも結局、わからず仕舞いやけどとりあえず考えたことだけ書いておくと、

まず、スメルジャコフはもしかしたらフョードルの息子じゃないかもしれない。
なので、もし仮にスメルジャコフが犯人ならば「父殺し」がなかったかもしれないとなる。
ミーチャを犯人とすることで「父殺し」が確定する。

つまり百姓は意地を通してでも父殺しを確定させたかったということ?
ちょっと無理やり感。。


ちなみにこの百姓というので僕が気になったのは
裁判前にイワンが百姓にけっこうむごめの扱いをしたということ。
作者ドストエフスキーの父は百姓に殺されている。

んんん~~~~なんかな~~~
繋がらないというかうまい解釈が思いつかない。。




僕が好きだったカラマーゾフの兄弟でのテーマ?は
イワンとスメルジャコフの表裏一体性と決裂。お互いの影響のし合いがめちゃくちゃリアルでよかった。
世界の終わりとハードボイルドワンダーランドを思い出す関係だった。




カラマーゾフの兄弟村上春樹をある程度読んだ人におすすめしたい。
村上春樹が崇拝している作品を読み切りたいと頑張れるし、抽象的な仕掛けや二項対立の発見が村上春樹でトレーニングされていると読みやすと思う。



最後に、カラマーゾフの兄弟を読み切れて本当によかった。
これは良い読書をするたびに思うことなのだが、カラマーゾフの兄弟が漠然と自分の脳裏に刻まれて、これからの人生でときどきカラマーゾフの兄弟を思い出すことがあると思う。
そこで思いにふけさまざまな発見や感動があったときが本当の読書体験であり読書のすばらしさだと思う。