近所のゆるい本屋

「海辺の光景」を読み終えた。
主人公の過去のエピソード、五感、全てが自分の経験、環境と符号していた。
ツイッターでは「名刺代わりの10冊」というタグがある。
実際上、自分の好きな本を10冊あげてプロフィール代わりにするというものだが、「海辺の光景」は皮肉にもまさしく名刺になるなと思った。

物語上の現在では母の死期を過ごしているのだが、そのあたりが俺の想像の範疇外だ。
全てがフィクションと感じられたなら全体のバランスがよかったのかもしれないが、過去エピソードが自分にとってただの実際なため、物語全体としてちぐはぐな印象を受けたのかもしれない。


先日、「雪国」のプレミアムカバーを買った。空色で美しい。
図書館に行こうとしたのだが、閉まっていたため、本屋に立ち寄った際に買った。
今の時期にプレミアムカバーが販売していることは事前からツイッターで知っていた。そこまで興味はなかったが「雪国」のカバーの色はいいなと思っていた。

店内でツイッターで見たような「新潮 夏の100冊」の平置きの陳列を探したが見つからなかった。
もう一度、店内を回るとこじんまりとしたところ「新潮 夏の100冊」が固められていた。
特にポップもなく平置きもなく、プレミアムカバーも普通に棚に差し込まれいた。(事前情報を持ってない人は背表紙だけじゃ絶対に気付けない笑)

いい意味で脱力していていいなと思った。
店員もハキハキもしていないしダラダラもしていない。

淡い記憶。
高校生のときに初めてプレミアムカバーを見たように思う。
そのとき見たプレミアムカバーの扱いもこんなような感じだった。

超大型店舗のアミューズメント感も個人店舗のえも感も俺の原体験的な本屋とは違う。

近所のゆるい本屋でゆるく扱われるプレミアムカバーでついついそんな懐古を感じた。


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最近、ブログ書く日々が続いているが、書いているとどんどん書きたいことが増えていきメモに草案が溜まっている。
しかし、その日のフレッシュな気持ちのまま書きたいのでそのまま埋もれて行ってしまいそうだ。
複数のトピックを一気に書くのもなにか違う気がする。

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最近、動画活動をしていないな。
感覚を忘れそうなので再開したい。