水泳、ツイッター、セヴンティーン、雪国

水泳。
なんで水泳からの記述が多いかって、水泳してからブログ書いてるからや。
誰からもつっこまれたことないけど笑
今日は二本目に勢い余って壁に激突してしまって指を擦り剝いてしまった。
流血したので今日はすぐあがり。エネルギー補給のためにアイスとクッキー食べたのに消費することがなかった。
そういう日もあるよ。明後日がんばろう。

ツイッター見てると芥川賞についていろいろと語ってる人が多い。
それ関係であるツイートが回ってきた。難しい言葉で語っていて、えらそうで攻撃的な態度を感じた。
あまり長く読んでよく考えると不快な気分が募りそうなのでその人をブロックした。
おれは芥川賞には全く興味がないと思っていたけど少しは興味があるのかもしれない。
今も思い出すとイライラする。
抽象的な哲学的表現や詩的な表現は好きやがその皮を被ってえらそうにしてるのは嫌いだ。
しかし、実際よく考えてみると、その人の書いてることは本当に難解でよくわからなかったので、「皮かぶり」なのかの判断がつくはずはない。
ただ、わからないことに耐えられなかっただけかもしれない。

実はこんな傍若無人にブロックするのは初めてだ。
俺の父性が高まっているのかなと思うと嬉しい。
カウンセリングでも今はその辺が軸になってきている。

大江健三郎の「セヴンティーン」のプロットをパクった「ナイティーン」ていうの書いたら面白いんじゃないかなと思った。
「セヴンティーン」は冒頭が十七歳の誕生日やけど、「ナイティーン」では結末に成人式の通知が来るみたいな。
誰しもが「セヴンティーン」のような私小説を一回は書けるんじゃないかなと思う。
「政治少年死す」は無理だと思うが笑
「セヴンティーン」ほんまおもしろかったよな~と、本の束からひっぱりだして机の上に置いてる。
「政治少年死す」はいちいち図書館で借りるか五千円の本を買わないと読めない。しかし、「政治少年死す」はそんなやったんで再読はいいかなと思っている。

「雪国」の再読をしてるんやが古い方のメモしてあるほうで読んでる。
昔のメモが幼稚すぎて恥ずかしい。しかし、当時も本気で読んでいたなと思う。
「雪国」の会話文はいちいち技ありって感じで感動する。
第二次戦後派から長編小説がしっかりと日本に根付いたみたいやけど川端康成はもはや詩人寄りの小説家なんじゃいかと思った。
「物語る」ではなく「切り取る」といったふうに見える。

昔は全く気付かなかったが「雪国」の主人公は母性に飢えている。それが無意識にひっかかっていて今また読み直してるんやろか。