きっと誤解が多すぎる作家の誤解が多すぎそうな作品 個人的な体験 大江健三郎 かつてあじわったことのない深甚なカタルシスがなんなをとらえた

・誤解

大江健三郎といえば政治的で左翼でちょっと嫌煙
個人的な体験といえば障害を持って生まれた子を持つ大江健三郎の実体験に基づきめちゃくちゃ暗そう

っていうふうに思われてそうやと勝手に思ってるんやけどどうなんでしょう!?!?
実際は各年代共通の普遍なる青年の苦悩の物語の書き手であってモチーフが過激なだけなんやと思います

まずねぇ~~~そのモチーフ選びから好きで初期作品は天皇制から切り込んでいくみたいな感じで
その世代の書き手として欺瞞なきモチーフ選びやと思うんですよね
想像でしかないですけど戦後世代にとって天皇制と個人感情というのは密接でそこから描かれる個人的な苦悩というのは今のゆとり世代ど真ん中の僕が読んでも納得感があるんですよね

そして、大江健三郎に障害をもった子供が生まれてそこからモチーフがそのことに変わっていくわけなんですけど
そのモチーフの変化も常に個人的な感情を揺さぶってくるものを自然に選んだ結果なように見えて納得感が納得といった感じですわね

「個人的な体験」では障害をもった赤ちゃんも奥さんも記号的存在でフォーカスは常に自分の葛藤にあり
過激なモチーフを扱いつつそこを記号的に扱うっていうのもまた大江節って感じました

とにかく今回はハッピーエンドでよかった!!!!!!!!!!!!!!!もうおれの心は真面目にズタボロやった笑笑

・バード(子供っぽいあだ名)について

主人公はバードってあだ名なんですけど、なんかしらんけどとりあえずそれは子供っぽいあだ名なんだそうです
よくわからんけど笑笑

面白いと思ったのは登場人物みんな主人公と会話するときにやたらバードと呼ぶんですよね
「~~だと思うわ、バード。」といった具合に明らかに違和感があってそんな名前言わんやろ笑 って感じなんですけど、そこで思ったのは

1、みんなが主人公をバード(子供)にしていた説
バードは子供らしいあだ名らしく最後に成長した主人公はバードというあだ名じゃなくなるんですけど
それまで周りが主人公を子供扱いしていてバードバードと執拗に言ってたのかもしれないです
2,主人公の幻聴説
主人公はまだ子供でありたくて(それこそ自分の赤ちゃんも認めれていない)それで周りが自分のことをバードと言っていると幻聴を聞いてしまっている

主人公のバードというあだ名は子供ときからずっと変わらず、そして誰からも(奥さんからすら)バードと呼ばれています
それは主人公の幼児性、停滞、無感情を表していたのかもしれないです

・大江名物圧倒的屈辱

大江健三郎は屈辱シーンの名手なわけですが今作でもしっかりかましてきまして、主人公は予備校講師なわけなんですが、二日酔いで講義に行って生徒100人の前で嘔吐するんですね
その後、生徒から普通に馬鹿にされて文句言われまくってトラウマ確定シーンなんですけど自分は初期大江健三郎で訓練してたので事前にくるぞ!って察知できましたしこれぐらいならセーフか(アウト)
ってダメージは最小限で済みました(自慢)

天皇から子供へ

初期作品は天皇制からの切り口が多かったんですけど中期以降は子供からの切り口が多くなるみたいで
天皇制でも戦うパターン、逃げるパターンっていうのがあってそれを子供を切り口にしたバージョンになるみたいでどういった変化があるのか楽しみ!!
頼むから救いを!!

・戦う(子供)→戦う気力すらなくなる(青年)→違う次元へ(大人) ラストシーン問題!!!!!!!!

今作の序盤に主人公は不良少年たちと喧嘩して、中盤に無気力になり、ラストシーンには序盤に喧嘩した不良少年グループとすれ違うのですがお互いに無視するんですよね
これは端的に子供から青年、大人への成長を象徴してるんやと思いました
これはめちゃくちゃ気持ちよかったんですよ、それにラストシーンにはもうバードというあだ名は合わないねっていうのもあってそれもすごい気持ちいい!!
いやぁ~~~本当にハッピーエンドだ笑笑ハッピーエンドが久しぶりすぎて笑笑

でもこのラストシーンは賛否あるみたいで、このラストシーンの前に「かつてあじわったことのない深甚な恐怖感がバードをとらえた」という文句で終わるシーンがありまして
そこで終わってたほうがいいちゃうんか説があるんですよ
この文句自体かなりもんでして、主人公はずっと赤ちゃんを殺そうとしてたんですけど最後にやっぱり一緒に生きようと思って初めて自らの心からの本気の選択、本当の自分の人生を始めるんですよ
そのときになって初めて主人公に本当の感情、本当の恐怖がおそいかかってくるわけなんです
いいぞーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!って感じですわな~~~~~!!!!!!
たしかにそこで終わるが一番美しさはあるような。。。
でも主人公の成長の明確性もほしいし、、、、、
難しい問題ですわね~

・初期作品からやっとひとつの救いが出てきた ありがとう、、ありがとう、、

展開もラストも本当にやわらかくなってて、初期作品から読むって大事なのかもしれない笑笑
初期作品の残酷さからやっとひとつの救いが、、って感じで笑笑
シンプルに作者自身が障害をもった子供が生まれてショックなかでわれらの時代とかセヴンティーンみたいな猛毒系に耐えられなくなった反応なのかも

救いの手立ては主人公を受け入れてくれる女性との生活とセックス
こういうの抵抗感あるほうやってんけど今回はぜんぜんなくて、自分自身、三島由紀夫から大江健三郎初期と戦後文学につっこみすぎて心がけっこうきてたのか(最近けっこう悪夢がひどかった)この展開を受け入れれたしむしろ救われてた
男性にとって女性による救いは唯一無二なんだと思うようになってきて(そもそも当たり前?)
なにより感情の回復があるのかなって思いやしたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここまで読んでくれた文学ぴーぽーにビッグラブを!