キチゲ解放文学

  1. キチゲ解放文学

サルトルは嘔吐書くことでキチゲ解放してると思う。
サルトルフォロワーの大江健三郎もわかりやすくキチゲ解放文学だと思う。

キチゲとはキチ〇イゲージというスラング
ようはストレスたまりまくりでゲージが溜まると発散のために隠れて奇行するということ。分裂症気味。

ユーチューブでfilthyfrankてのが世界的に人気なんやけど
けっこうなキチゲ解放動画でキチゲ解放はみんな欲してる。
問題ない表現で言うなら脱構築

脱構築よりキチゲ解放という表現が好きなのは
脱構築は二項対立を捉えてる前提だがキチゲ解放は脱したい気持ちだけが爆発していて二項対立は把握できていない。
それがリアリティだと思う。

脱構築でも器用なガス抜きでもないキチゲ解放。
そういうのに感動する。

ちなみにまだ嘔吐ぜんぜん読めてない笑

追記、キチゲはあくまで隠れて奇行をすること(勝手に定義してるけど…)人に危害を加える奇行ではない。
ここに罪悪感の心性があるね…これを日本人特有と見たら、「甘えの心理学」における甘えが正常に機能してないためのキチゲ解放といえるだろう。

  1. アウトプット(外置)

アウトプットは一般的にまとめて学びになるという有用さがクローズアップされている。もちろん、その面は強い。
心の面から見たときにもアウトプットは良い。心の中にあるものを外に置く事でとりあえずの「仮固定」ができる。忘れられる。
学びの面から見たときの記憶の強化からしたら逆かもしれないが、良くも悪くも忘れられるわけではない。

さらに、外に置くことで「あいだ」ができる。あいだに実相が生まれる。(実相てなんや、、)
「あいだ」が生まれることは怖いかもしれないけど、心は軽くなる。

自分は日記を昔つけていたけどやっぱりブログとは違う。ブログは人に見られる可能性がある。予測される「あいだ」を意識してしまう。それがなんか良い。