- 難しかった~~~~
併読しながら読んでたけど途中でそれじゃあかんと悟ってガチ読みしだした笑
- ロカンタンの物への思い込みって自他分離ができてない人の極致なんじゃないかなと思った。
物をひたすら外部のものにしようとしているのは分離作業を頑張ってるということなんじゃないかと。
アニーとのシーンで一転、ロカンタンの性格が変わった一人称もかわり幼稚な雰囲気が出るのも他者との同一化への欲望のタカが外れてるように見える。
「完璧な瞬間、きみが主役を演じていたあの悲劇」
というのは二人のあいだでのみ作られていた幻想。そのなかでふたりは幼児的万能感を得て自己愛を守れたのだろう。
「冒険」に挫折したロカンタン、「完璧な瞬間」に挫折したアニー。
ロカンタンがアニーを頼ってアニーがロカンタンを引きはがすのはエヴァンゲリオンのシンジ、アスカの関係みたいで悲しかった。
- 嘔吐は関係ないけど実存主義勉強したときに思ったこと。
サルトルが提示した実存主義が構造主義によって神が歴史となって再登場する。(ネットで読んでるとカミュとの論争で自爆してね?って思うけど、、)
このサルトルとレヴィストロースの関係がフロイトとユングに似ているのかもと思った。
フロイトは実存主義(科学的)、ユングは構造主義(集合的無意識)
神が集合的無意識となって再登場する、、みたいな、、、。
この構造主義を脱構築したらそれはたしかに空中分解して小さな物語になるわなと思った。
話しが前後するけど、実存主義を打ち砕く構造主義はほんまに気持ち悪いほど強力やと思った。
なんか実存主義ってかっこいいし。。己の肉体で戦ってるって感じしていいんよな。。
しかし、それも歴史の物差しの支配の中やしね~
気付きたくない真実や。
サルトルが人気なんはめちゃくちゃにわかった。ちょっとマッチョ感あって三島由紀夫みあるよな笑
- 不条理的なことをすんなり受け入れれてしまえるという(病)理。
宮台真司のオウム完全克服マニュアルにたしか書かれてたんやと思うけど、幼少期に統合失調症的な親に育てられたらカルト的奇跡を信じてしまうことが多いらしい。
というのも、なんの理屈もない感情の波にさらされすぎて論理なしにただ受け入れるということができしまうかららしい。
ロカンタンは不条理なことを受け入れてた(多分)そしておれも、、昔はそういう妄想にとりつかれていたことがある。本当に軽い例ならドアを閉じて振り返ったら開いてるかもしれない閉じていても見てない間は開いてたかもしれないと、、、
カフカの変身を意識したような文章もいくつかあった。
また思い出したら書きます。