社会不適合とまでは自称しないがランダムに集まった人たちと仕事するのは今後も苦手だろう。

愚痴っぽいというか、ちょっとネガティブな気持ちが出てる記事です。

  • ついにラノベ風タイトルにまで手を付けだした。

昨日、今日とバイト先で揉めたことと、それから考え、感じたことを書こうと思う。
ちなみに、ちょっと前にも揉めて鬱っぽくなったと書いたが、今回はいまのところ、あまり鬱っぽくはなっていない。
前回はかなり高圧的で、今回はまだ少しマシで会話になったからだ。

  • 両日とも揉めたのは同じ人で昨日の話から書く。

その日は睡眠不足気味で、今にしても思うと最初から少しイライラしていたように思う。

主任の報告不足で仕事が滞り、さらにイライラがつのった。
その報告不足は明らかにミスだったので指摘しようかと思ったができなかった。
もう半年前ぐらいか、忘れてしまったけど異動になった俺が好きだった人ならノータイムで指摘していただろうな、と商品整理しながら悶々と考えてしまった。
それでまた自分自身にイライラをためてしまったように思う。

単純に態度の悪い若い女の客も来てイライラした。(イライラと言う言葉を使いすぎてて違う表現もしたいもんやがイライラってイライラ以外に書きようがないよね。ムカつくなら対象を感じさせるし、それは自分自身の状況に言葉のベクトルが行ってないからなんか違うねんな)

  • そして、ここからが本番。

一か月前に購入のスーツセットが不良品だったと返品しにお客が来た。
実際にその商品は目立った毛羽立ちがあり、不良品だった。俺のところは返品はルール上、一週間以内でしか承っていない。
しかし、ごねればいくらでも返品できる。不良品ならば店側責任なので、事実上無期限だ。

こういう客に限って返品に手馴れていそうでムカつく。それにスーツセットなんて明らかに必要買いしているものだろう。
それを一か月も使わないなんて違和感がある、使用後に商品タグを付けなおして傷を付けて返品している可能性もぜんぜん考えらる。

しかしだ、客を疑うなんてことはできない。しかも、表面上では店側が不良品を売ってしまった加害者側だ。
謝って返品を承るしかない。

その際に(実はここからが本番)有料の袋代も個人の判断で返金した。
その後、不良返品について報告したときに、袋代は返金してはならないと両日にわたって揉めた人に(Xさんとする)注意された。
俺は不良返品であっても袋代は頂くルールを忘れていて返金してしまい、ミスをした。そこまではよかった。俺は平謝りしていたと思う。
Xさんはそこからさらに返金してはならない理由を説きだした。つまりはそのルールが敷かれている理由ということだ。

Xさん言っていることにあまりにもまともな理屈がなかったので明確な記憶に残っていないのだが、
袋はそもそもエコバッグを持っていたら買う必要はない、それを持ってきてないがため、袋を買ったので、袋の購入はお客さん責任。さらに、そもそも、商品とは別個で買ったのだから、商品に伴って袋の返品返金はできない。
その上、袋は使った時点でもうシワがつきボロボロで返品されても再利用できないので、返品返金はできないとのことだった。

理屈の話になったので、俺は俺がその場で返品返金をしてしまった理屈を話した。
この商品が本当に不良品だったのかは怪しいし、一か月後に返品にくるのもかなりムカつくが、少なくとも表面上では不良品を売ってしまったのは店側で責任を取らなければならない。
実際に店は不良品の場合、その責任を取るために返品期限一週間ルールの無視や、購入時のカードポイントも抜かないルールがある。
お客さんが袋を買ったのは店の商品が良品であるという前提のもとで買っていて、不良品とわかっていたならば、服も買っておらず自ずと袋も買っていないだろう。
なので、袋の返品返金も承るのが筋だと思い、返品返金をしましたと、、、

つまり、Xさんの言う理屈の商品と袋は別個だということの否定と、ついでにエコバッグは義務ではないから今回の話とは関係ないと思うとも話したと思う。

Xさんは俺の理屈の否定やその他もろもろを話していた。詳細は忘れてしまった。
最終的にはあなたの言っている理屈もわかると言ってくれた。しかし、ルールはルールだからそこは良くないと言われた。
俺もそれは終始、思っていて後ろめたさがあったがあまりにめちゃくちゃな理屈を言われたのでついつい言い返してしまい、その後はどんどんと通らない理屈が出てきたので否定が止まらなくなってしまっていた。

話の最後は大団円的だった。
俺はルールを間違えたから謝る。Xさんの理屈は通っている。俺の言っていることもわからなくもない。という雰囲気だった。
俺もなんだか満足していた。社会でそこまで話を聞いてくれたのは始めてだったかのように思う。(親にすらまともに話を聞いてもらったことがないし)
Xさんはなんていい人なんだと思っていた。
しかし、今になって思うと、それでもXさんの理屈は通っていなかったし、どう考えても無理があったと思ってしまう。
大団円的で居れればそれは幸せだが、どうしてもそのひっかかりを無視できない。もはや、無視してはならないとすら思っているところがあるように感じる。

俺が今後の付き合いを加味して、徹底追及しなかった(できなかった)だけだ。
(重ね重ね基本的にルールを間違えた俺が悪く、追及されるのはむしろの俺のほうだ。話の中核ではない、仕事に関係ない上辺の理屈を無駄に突っついて、相手の人はそれを聞いてくれた。”社会”人としては俺は愚かで、相手の人はすごい優しいのだと思う。)

  • もう長いが二件目。

よくある判断はしてないものの、責任は押し付けられるという話だ。

忙しい時間帯で、レジ打ち係と服を畳む係の二人態勢でのときのことだった。
俺はレジ打ちで服を畳む人は熟練パートの人だった。
タグでは二割引きのところ、レジが自動的に三割引にするように登録された商品があった。それはXさんのところ商品だった。
おれは判断できないので隣の熟練パートの人に聞いたら三割引きでいこうとのことだった。
その後、そのレシートをもう一枚出しておいて、Xさんに確認をしに行ったら二割引きにしてほしいとのことだった。
もしわからなかったら売り場に来て私を探して確認してほしいとのことだった。
しかし、俺が判断したわけじゃない。そのことを説明すると同時に熟練パートの人も話に入ってきてウヤムヤになった。

さらに、普段ならば、自動的に割り引かれるように登録されてる商品ならば、その登録を優先している。
今回はセールの特別な時期で配布されている紙に小さく、タグの表記を最優先してくださいと書いてあった。
その紙自体、見るものではないのは共通認識としてあるはずなので、もはや騙しに近いレベル、少なくとも確実に混乱のもとだ。

その後、注意書きを書いてレジに貼ろうとしていたが途中で止めて、今回のトラブルのもとになった商品は少ないからそっちほうを訂正するといって、一時間後、訂正されていなかった。

  • 長くなってきて疲れた。俺が一息で書けるのは三千文字ぐらいやな。考えたこと気付いたことを最後に書く。
  1. ずっと前に主任に詰めたときはすごい怖かった。

もう人間関係がどうなってもいいとか、バイトを辞めることになってもいいとか、まさしく一事が万事の世界観。俺がよく言う生死をかけたような意気込みだった。
その時は思いつめて準備して言って、今回はその場の勢いで言ったからちょっと違うかもしれないが、
そこまで生死をかけるような怖い思いはしなかったように思う。
それは「人は話を聞いてくれる」だとか、「関係は続く」みたいなことへの信頼が自分の中で育ち始めていると考えられることだと思った。
実際、相手の理屈は間違えているものの、本当によく話を聞いてくれたと思う。今でも嬉しくなるし、同時に意外と世の中の人は話を聞いてくれるものなのかもしれない。

  1. 女の人への怒りやムカつきなどの負の感情が自然じゃない。

単純に態度の悪い若い女の客も来てイライラした。(イライラと言う言葉を使いすぎてて違う表現もしたいもんやがイライラってイライラ以外に書きようがないよね。ムカつくなら対象を感じさせるし、それは自分自身の状況に言葉のベクトルが行ってないからなんか違うねんな)

この話のときに思ったんやけど、なにかこう、書くのが難しいけど、イライラするのがスムーズじゃないように思う。
女の人を基本、いい人と思うように努めてるというか、、、
それに、女の人に徹底的に攻撃的になるのが難しいようにも思う、、、今回のXさんの二件も徹底論破みたいなことはしなかった。相手のおかしいところはウヤムヤのままにしておいた。
というか、徹底論破みたいなことができない。(もちろんしないほうがいいが)
これを言ったら完全に向こうが詰むみたいなことを言うことができない。それは吃音と同じようなメカニズムのように思う。(考えれば男の人相手でも同じだな。)

  1. 俺は理不尽なルールを押し付けらるのは大丈夫だが、納得できない理屈を飲み込むことができない。

もし、飲み込んでしまったら異常にイライラしてしまう。
理不尽なことは理不尽だからこそ我慢して受け容れられる。しかし、そこに自分が間違えてるいると思う理屈での妥当性も加味されると受け容れられない。
その上、俺は些細なことでもいろいろと考えてしまう。なので、俺は「社会不適合とまでは自称しないがランダムに集まった人たちと仕事するのは今後も苦手だろう」と思った。


けっこう考えても、理屈上ではおれは間違えていないように思うのだが、
俺が間違えてるんやろうか。書いていて不安になる。

追記:
ある記憶が思い出された。小3ぐらいやったと思う。
ちょび髭先生という現在でいうところの特別支援学級の先生がいた。名前から察せられるようにみんなに人気の先生だった。
その先生と話しているときに「お前はほんまに謝らへんな~。まず第一にごめんなさいやろ。」と言われた。
その時に自分はよく似たようなことを色んな人に言われているなと気付いたように思う。些細なことだが、それで世界が更新されたように遡及的に今になって思う。
「言い訳をしてはならない」と思うようになった。正しくてもまずは謝らなければならない。それができないことは恥ずかしいことだと思うようになった気がする。
もちろん、「まず第一にごめんなさい」は重要な処世術だと思う。

そして、これは度々書いているが、母との会話では自分が言い訳をすると、大声で怒鳴られたり、パニックを起されたり、泣かれたり、、、さらに遡り幼少の時には家を出されたり、ご飯が出なかったり、体力の限界まで長時間、ネガティブな感情をぶつけられたりで自分が正しいと思っていることが言えなかった。

そういった影響が、俺の自分自身が正しいと思ってることが言えない「正論吃音」みたいなことになっているのだと思う。


今回のバイト先でのエピソードは他にもっと重要なことが隠れている感じがする。なにか書き忘れているように思う。