終わりはあるべき。

このブログが終わるときはある。
ここでは自分のこころにまつわることを自分が責任を持てる範囲で包み隠さず書いているつもりだ。
そこには読み手を意識した過度な演出や虚構はないと思っている。
村上春樹の「風の詩を聴け」の冒頭に小説とはいわば自己治療と銘打っていた。(脱線やけどこの一文が原因で村上春樹は今作のみ翻訳出版拒否してるんじゃないかなと思ってる。)
おれのブログもはっきり言ってその要素が強い。
もちろん自己治療だけの独りよがり的なものではなく、ブログを通じて読者との交流を感じ、暖かい気持ちにもなっている。

ただ、問題はあまりにも赤裸々すぎるということだ。
これは前々から思っていた。無論、現在、自分にとって赤裸々であることが何よりの場としての価値があるのだが、いつかは終わらなければならないと思っている。
というのも、もし仮に自分に彼女ができたりしたらどうだ?(念のために書いておくがそんな兆候は一切ない)
その時に自分の心境をオープンな場でリアルタイムに赤裸々に書くべきか?それは絶対にだめだ。
それはクローズな場で行われるべきだ。なんなら嘘がまじってもいいと思っている。
しかし、このブログをしてる以上、感じていることを書かないのはやもやとした気持ちになる。
このブログを裏切るような感覚になる。

俺は本当に噓偽り無く、できるだけこころに向き合って自分にとって大事なことを記事に書いている。それがこのブログの条件だ。

「真実は劇薬、嘘は常備薬」
このブログには劇薬しかない。書くことをやめるつもりはない。
しかし、このブログは終わる時は来るべきだ。それは願いでもある。