「みんなのこと」

ブログを書くときは一つのトピックに集中するべきやと思うねんな。
何個も何個も盛り込むより一つのほうが読みやすいしたくさん書きたいなら記事を別にすればいい。
と、思いつつ今日も盛り込む。
晩御飯はバームクーヘン一輪だ。2月のドバイ旅行の際、キャリーケースの重量チェックのために体重計に乗らなくてはならない。
1月はけっこうめなダイエットをしようと思う。
このバームクーヘンは100gあたり350kcalとの表記だが、本体重量の記載がない。怒りで余計に食が進む。
そういえば、大晦日に書いてた鶏むね肉と木綿豆腐は気合で食べきれた。鶏むね肉600gと木綿豆腐600gだ。
おかげで昨日、今日と消化不良感がすごい。

今日は昼からバイトだった。おかげで正月気分が早々に抜けれてよかった。
過ぎ去れば、年末年始を凌いだという感覚だ。一つに家に父がずっといるというしんどさを切り抜けたということだと思う。もう一つはお祭り雰囲気に疲れていたから早く日常に戻りたかったということだと思う。
お祭り雰囲気とは実際にそこまで物理的にあるものではなく。自分が勝手に年末年始とはなにか楽しくて、幸せな気持ちでいなければならないとどこかで思っているのだと思う。
そこには「大きな物語」に侵襲される恐怖。自分自身(主体)が疎外される不快感があるのだと思う。
自分自身の感情が覆いかぶされるのと自分自身の感情に素直でいようというこころの戦い。そして、自分自身の感情が無いという事実に直面することに疲れたということかもしれない。

やっぱり記念日みたいなのって苦手だなと思った。
それでも今回は酒を飲まずに銭湯と散歩で気をうまく紛らわせれたと思う。(自然と気を紛らわせたと出てくるあたり本当に幸福感はないんだなと思う笑)

昨日は大地震津波があった。今現在も悲しい知らせがたくさん出てきている。
地震のときはTwitter上でグループ通話をしていた。自分がホストで繋げていないと全員の会話が強制終了される。
地震から数分経つと津波情報が出てきて、数万人が津波に飲み込まれ、新潟市などの沿岸部主要都市が壊滅するかもしれないと思った。
つまり東日本大震災級の被害が起こるかもしれないと思い、悲しいような”気がした”。
なんだか居たたまれない気持ちになり、グループ通話は自分のマイクをミュートにしてテレビをずっと見ていた。
自分がホストのため切りたくとも切りにくかった。通話上では他の人たちは普通に会話をしていた。
「そこまで悲しむようなことじゃないのかな?」「東日本大震災級ではないのかな?」とよぎり、「???」という感じで感情が迷子になった。
ここには「悲しむべきか?」というようなことがあったと思う。

年末年始と地震のことで俺は「みんなのこと」が苦手なのかもしれないと思った。
この「みんなのこと」という表現はかなり気に入っている。これに全てが詰まっていると思う。

昨夜はうまく寝れなかった。地震が心配でハザードマップの確認とかしていた。
夢でカウンセラーをしていた。クライエントの気持ちに寄り添い自分の一言一句によって相手がどうこころが動くか嫌な気持ちになっていないかと恐れていた。
朝にふと家族の温かみのようなものを考えるまでも行かずに浮かんでいた。
彼女がほしいなと思った。性欲以外で彼女をほしいと思ったのは初めてだと思う。未だに信じにくいのでほんまかどうか怪しい。

夕方に知らない電話番号から電話があった。
母は着信拒否でラインもブロックしているのでそれに気づいてどこかからかけているのかもしれないと思った。
これから一生、見知らぬ番号に母を感じ怯えるのはあまりにもしんどい。いつか態勢が整ったときに会わなければならないと思う。


追記:
読み返して思ったけど、「怯えずに生きたい」という気持ちがあるのかもしれない。
「怯え」に注目したのは初めてだったので自分自身に強調させるために書いておく。
たしかに俺はよく怯えている。