勲は卑怯者だ!! 奔馬 三島由紀夫 ※ネタバレ注意

人の自然な不純さ

自分はこうありたいという思いは誰しもがあると思います。僕は理想像に近づくためにあれこれと努力しますが、大半は思い通りにはいきません。
その時々に言い訳を作ってだましだましやっていき、それは無意識にされることであってとても卑怯なことだと思います。しかし、それが人間が生きていくための防衛反応みたいなもので、
人間はそうやって卑怯で不純であって然るべきものだと思います。
もし、自分の言い訳を見つめすぎたら自分が嫌になって鬱になって自殺すると思います。

純粋とは

なにかを純粋にするとはなにも意識もせずに行動することだと思います。
息を吐くために息を吸うなんてことはしない。無意識=純粋と思っています。
清顕は戦いの中で死にました、もしかしたら、清顕は死を願っていたのかもしれないですが、それは無意識のことで、あくま逆境に戦うことに熱を持っていました。その後の死は不随物であって、その脈絡の中の無残な死に様こそ美しいと思いました。

不純以下のスーパーウルトラ不純の勲

奔馬の主人公である勲は理想像は純粋な自殺です。常に自分の理想的な死に場所を求めています。
勲は作中作である神風連という本に多大な影響を受けます。
神風連は登場人物たちが西洋の文化を嫌い天皇を崇拝し昔の剣の時代の日本を戻そうとテロをして、それがうまくいかなくてほとんどの人が自刃するといった内容です。
勲もこの本に出てくるような人々みたいに大義のもとに潔く自刃したいと願います。

この時点でもはや勲の不純の始まりが起きていると思います。

神風連の目的は日本から西洋を追いだし剣の時代に戻そうといったことです、テロの作戦内容自体はもはや自殺に近いものでしたが、あくまで目的は自殺ではありません。
純粋に日本をよくしようとして、それが叶わなく、純粋な武士の精神のもと自刃したのです。

勲の目的は純粋に自殺することです、そのために神風連のような大義と似たようなものをつくろって、その大義のもと純粋っぽく自殺しようと思っていたのです。

これは純粋な自殺といえません、純粋を意識した時点でもはや不純なのです。

そのために、勲の権力者への怒りは常に抽象的なものでした、聞きかじりで民衆の飢えや苦しみを知り怒りをためていきます。
裁判でのシーンで、裁判長はなぜ勲はテロをしようとしたのか聞きます。勲は端的に抽象的に答えますが、裁判長は長くなってもいいから具体的に答えよ言います。
その時に勲が説明した自分の心境は僕からしたら抽象的な言葉をただ連ねて長くしただけであって、なにも具体性は持っていないと思いました。
裁判長はなぜか感動していたけど笑

清顕と勲

清顕は感情の人間です、よって純粋に感情のまま流れます。この姿への憧れは前のブログで書きました。
勲は意思の人間です、よって自ら願ってしまいます。
清顕みたいな存在はそうだったらいいなのフィクションみたいなもので、勲はより現実的な人間です、
より人間の醜さを表していて、そこに激しい嫌悪感を感じました。。。
つまり、僕は勲を受け入れなかったのです、大義を引き合いに出してきて、自分の純粋性を正当化し、周りにも怒りを表します。
勲は人間失格の葉造のような人間を侮辱すると思います。しかし、葉造のような人間は自分に嘘をつかずに自らの醜さと対峙した上の憂鬱さなのです。
勲は自分の不純さに対峙すらしていない、その勇気すらない人間が葉造のような人間を侮辱していると思うとむかつきます。


じゃあおれはどうなんだ!?!?!?!?!?
そういった勲のような卑怯な心を自分は持っています。
自分の知りたくない要素をまざまざと見せられて、ただ怒るしかなかったのです。
こうやって、勲の醜さをまじまじと見ずに批難ばかりしている自分の心の反応こそ、勲がやっていたような、自らの不純と向き合わないことと同じなのです。
おれの心は汚い。

勲は最初の印象は好青年だったので、自らの不純とも戦ってヒーローになってほしかった。

虚しすぎる死に様

勲は裁判が終わり釈放された後に、自分が憎んでいた男からのお金で生きていたこと知ります。
父親も不純であって、自分の血肉そのもの不純であると知ります。
そして、門下生である男の子が資産家である男が神社でしょうもない無礼を働いたことに激昂しているところを見て微笑してしまいます。
この微笑!!!!!!!お前はここで自らの不純を確実に悟ってしまっているよな!?!?!??!
勲はずっと無意識のうちに気付いていたと思いますが、ここで初めて、自らの不純性、つまり自分が純粋っぽく自殺したいがために屁理屈をこねていたと気付きます。

その後、資産家の男を殺す際には、「お前は神社で無礼を働いたから殺す!!」と言います資産家は「は。。。????」といった感じです。
このシーンの滑稽さですよ。。。。。
勲は自らの不純さと向き合う勇気がありません。よってなんとしても早く、大義っぽいことをなして純粋っぽく死にたいのです。
それゆえに、出てきたこのセリフですよ。。。。
その後、自分が不純と向き合ってしまう暇から逃げるように自殺します。
最後の最後まで卑怯だった。。。

三島の告白

これこそが三島の告白なんだと思いました。
清顕の無為な天性のファンタジーみたいな純粋に憧れて、三島自身は意思の人、純粋でありたいと願う人、三島は勲なんだと思いました。
自分は勲のように純粋でありたいと願う不純な人間ですと吐露して、奔馬作中であまりにも虚しすぎる自殺を描いたのにも関わらず、三島もまた行動に移してしまう。
勲が見た最後の光は三島の希望なんだと思います。こんなにも、不純な自殺をしてまでも、最後の最後には救いの光が見えるはずなんだ三島自身にも見えるはずなんだという希望を込めた描写なんだと思いました。

そして、ここまで自分の醜さを吐露した三島の正直さ誠実さは本当にかっこいい!!!

この作品を書き上げたことで、三島は自らの不純から抜け出すこともできたはず。。。です。。
そうであってくれ。。

ぼくはこの三島の吐露をしっかりと受け止めてこれからも三島の自殺には批判的な立場でいれたらいいなと思います





誤解がなきように書いておきたいのは、僕は自らの心の不純を軽蔑しているように勲も軽蔑すべき人間として軽蔑しています。同情しないように気を付けてます。
しかし、奔馬は僕の心を捕らえて大きく動かしました。名作です。
何も感じずにただ流れていってしまうのが駄作なんだと思います。
奔馬という作品自体を軽蔑していると思われたら真逆のことなんで念のために。。。


2022年8月17日 追記
奔馬初読から10カ月ぐらい経って勲に対する気持ちの変化があったので追記
勲は出所後、自分の所属する右翼団体の少年から政治的な熱を持った態度でここ数日の政治ニュースを聞かされ、その政治への熱意をもった態度に一瞬冷笑的な気持ちがわいてしまいます
勲はたしかにそこで自分の不純を悟っていると思います、しかし、勲はその後、大急ぎで要人刺殺までことを進めます自分の心に迷う瞬間を与えないように大急ぎで
自らの不純を悟りつつしかし純粋を完結させるには要人刺殺を決行するしかなかったのです
もし少しでも時間を空けてしまったらそこから堕落が始まって取り返しがつかないことを悟っていたのです
純粋の完結はたとえ違和感があったとしてもその機を掴む勢いが必要で勲が部下の少年に感じた冷笑的ななにかは自らの不純の発見ともうここからは時間がないという決意が含まれていたんだと思います

勲はそれらを悟りつつなお純粋の完結、美の完結をやりきったんだと気付いてめちゃくちゃかっこいいやんって思いました

そしてこういった物語を書きつつの三島由紀夫の自決、、、
今となっては三島由紀夫の自決には肯定的な気持ちです