俺を置いて行かないでくれよ!!!!!!!!! 「春の雪」三島由紀夫 一人残された男の叫び。。。 ※ネタバレ注意

あれ。。。。おれは。。。。???

最初のうちは恋愛小説なつもりで読んでいたんですけど、否!断じて、否。(春の雪ネタって気付いてくれるよね!?)

少し自身の昔話、
19ぐらいの時に、本気で漫画家になろうとしていました、きっかけはバクマンという漫画を読んで漫画家になるのが楽しそうだったからです。
そして、これはすごい自分にとって認めたくないことなんですけど、事実なんでしっかり向き合おうということで、、、
僕は特に漫画家になりたくなかったんだと思います
ただ暇で、何かに熱中するということに飢えていました。その矛先がたまたま漫画になったんだと思います
しかし、漫画を描く才能がなかったので、特に何か劇的な理由もなく、だらだらと自分の才能のなさを感じながら、諦めていきました。
この話はけっこう、僕にとって心が痛い話です笑

みなさんも熱中できる何かを求めたり、なにかを諦めて挫折したことってあると思います。
この小説での主人公はずっと熱中を追い求め空回りし続けて、ついには、情熱の矛先を見つけて、突っ走り、死にました。

僕は何かに情熱を燃やして、死にたくないです。でも、なんだかちょっと羨ましいんですよね
主人公は春先の寒い時期に好きな女の人のために何度も寺へ行き、体が弱いためにほぼ死にかけになります。(最終的に死ぬ)
僕なら、ここまでできないです、無意識に死なない程度の努力をしてしまうと思います。生きるか死ぬかという大げさな話じゃなくても、僕は自分の人生を中途半端に生きてきました泣
もちろん!!俺だって中途半端に生きたくて生きてきたわけじゃない!!
なんで自分がこんなに中途半端な存在なのかだなんてわからないです。。。
ただ、春の雪を読んで昔の情熱に向かっていた自分、諦めた自分を思い出してしまいまして、辛かったです。
何かを諦めて、そして諦めたことすらもはや忘れて、ぼーっと生きているのか死んでいるのかわからないような暮らしなら、情熱の中で死んでしまうほうがよっぽどいいような気がします

小説を読んだ後の寂しさっていったらものすごかったです、僕はだらだらと生きていて、清彰は自らの意志のもと死んでいった

あれ、おれは。。。。???ってなりました。。

僕の戦争

清彰は本当に聡子に恋をしていたと思います、そして、同時に敵でもありました。清彰には自分の内なる情熱を燃やすための敵が必要だったんですね。
だからこそ、無理やりにでも聡子のことを敵にしていました。でもそれはやっぱり無理がありますし、清彰自身も好きな相手を敵にしてしまって苦しい想いをしてしまいます。
ただ!!聡子が皇族と婚約したときに!!敵は社会になります!!
社会との戦いになったときに、もうなんの無理もない、気持ちのすっきりとした戦いをはじめられます。
僕は全てを読み終えたときに、最初のほうで清彰が聡子に対して厳しくあたっていって、なにがなんでも聡子を敵にしよとしているあの不自然さ、情熱の矛先を探しあぐねた結果が歪んだ恋の形になってしまったのだと気付きました。
その時に思い浮かんだ曲がこれ!!
www.youtube.com

この音楽のような歪んだ気持ちで聡子との戦いをしていたんだと思いました(ちなみに僕はこれをライブで聞いたことがあります、自慢)
清彰は優雅な皮をかぶって、聡子との戦争(というか、ただの独り相撲?)をしていたんだと思います



おれたちの世代

三島が生きたのは戦争中と戦後でその価値観の転換に三島は苦しみました。戦争中は男らしく生きて、そして戦争の中で大義も持って死ぬことができました。
戦後は男らしさというものが失われ、なにか大義をもって死ぬこともできなくなりました。春の雪はこの世代を書いています
現代もずっと戦後の雰囲気を引きずってますよね笑
社会全体の雰囲気として冷めていて、必要最小限の努力でスマートに効率よく生きようよみたいな感じです

戦争世代はシンプルでみんなが実際に戦うことでその情熱を燃やします
戦後世代(春の雪)の清彰は自ら戦争を起こします。皇族と婚約した聡子を略奪愛しようと燃え上がるのです。清彰は不可能であればあるほど燃え上がります。それこそが清彰が求めていた敵なんです。

僕たちの世代は。。。?
清彰の世代ではまだ戦争中の名残があります、戦争の写真や、兵士、老人たちがいて、その余波を思想を感じることができて、まだ情熱に身を燃やしやすい世代だと思うのですが
僕たちの世代は本当にどうなんでしょうか
みんな情熱を求めているのは確かだと思います、僕たちの世代の人間が特別、腐っているわけではないと思います。現にyoutubeでも自己啓発系の動画はすごい再生数ですし、みんな情熱を持ちたがっています。
しかし、そこまで自己啓発が流行るということはみんな今、現在、情熱を持っていないということの証明です。
春の雪では清彰は序盤に情熱が空回りして聡子を敵と見なして攻撃しようとしていました。それは僕たちの目から見ればすごい滑稽です。
そして、本多は世代の感情の評価はその世代の渦中にいる人間には評価ができないと言っていました。ただ時の流れを待って、世代が変わったときに昔の世代の人間はこういった特徴をもっていましたと評価されるそうです。

僕たちの世代はどのように評価されるの。。。??情熱の空回り世代??無気力世代??
今の僕たちの戦いは後世の人からは滑稽に見えてしまうのでしょうか

春の雪

最後の清彰の死に様はすごい悲しかったです。清彰は死ぬ覚悟で聡子のいる寺に毎日、通いました。
その時のすがすがしさといったら。。。。まさに春の雪風にいうのであれば全て明晰になっている状況です。
清彰は聡子に恋をしていて、聡子は出家している、まさに完全に不可能な逆境に正面からシンプルに戦えるわけです!!

あのシーンで降る春の雪は僕には戦争で自陣に攻め込まれて戦地となりボロボロになってしまったところに舞っている塵のように感じました。
めちゃくちゃかっこいい!!

でも、その死に様ですよ。。。。
清彰は寒くて体を壊してします、友人に聡子に会えるように協力してもらいますがそれも意味がありませんでした。
そして、そのまま実家に帰り、二日後に死にます。

これってけっこうださい死に様じゃないですか!?!?
ただ寒いだけで死にそうになる体の弱さ、実家ではきっと二日間、豪邸の暖かいベッドで最高の医療がほどこされたことでしょう。

清彰の時代にはいくら頑張っても、戦争中のようなかっこいい死に方はないんだなと思いました。
そして、これは三島の自決でも言えるような。。。きっと戦争中のような人たちが自衛隊にいたら、あの自決前での演説がヤジでかき消されて聞こえないなんてことにはならないですよね。。


そして清彰は家族に弔われます。
追悼にくるのは、情熱を忘れしまった現代の価値観を持った人たちです。
春の雪の冒頭にあった兵士を追悼しているあの写真ような追悼は行われません。

この皮肉ぶりよ。。。(僕の妄想なんですけど)

最後に

いつもながら、僕の言いたいことがうまく書けているのか自分でもわからないです笑
これは人に伝わる文章なのでしょうか

思想とか輪廻転生のところは難しくてよくわかりませんでした。。

清彰は春先の冷え込みで死にました
僕は暖房ガンガンかけながらこの記事を書いてます^^;