三島由紀夫「金閣寺」について吐く ※ネタバレあり

あああ~~~つれえYO~~~^^;

気軽に読み始めた「金閣寺」だったのですが、僕のような孤独で、強迫観念を持ち、理想の呪縛を感じ、完璧主義に囚われ、潔癖性を持ち、ことあるたびに自己嫌悪に陥り、自尊心が高く、自己矛盾を抱え、社会からの疎外感を感じている人!!である僕にとって、この小説はあまりにも心を捕らえました。
だいたいみんな同じような感想を持つと思うのですが!!僕の金閣寺への想い爆発を見て笑ってくださいな~~~

主人公キモ過ぎ;;そして共感してしまうきもいおれ。。。

金閣寺」において主人公はやたらめったと美を語ります。金閣のあれこれが美しいだの、音楽こうだから美しいだの。。。僕は、主人公は実際は全く美への執着なんてなかったんじゃないかと思います!
主人公は美への執着を持っているということで自分の殻にこもることを全て金閣の存在で合理化しています。女性と交わろうとすると、金閣が頭によぎり最後までやれません。
実際はただ臆病なだけなんです、吃音で自分に自信がなく、男性性にも乏しい、そうして女性と交わるのが怖いだけなのに、それをとんでもない論理の飛躍、妄想をもってして合理化しています。
だからこそ、実際に金閣を見たときにも失望があったんだと思います、頭の中の理想的な美しさの金閣をもってしないと自分の論理の飛躍、妄想が怪しくなってくるからです。
主人公は自分自身を守るために金閣寺が完全でないといけないのです。

でもこういうことってけっこうあるくないですか??さすがに「金閣寺」の主人公みたいに強烈に固執はしないですし、ましてや金閣なんていうわけわからんもの固執するなんてことはないんですが、
それでも例えば、好きな人ができて告白しようか迷っているとき、今の自分じゃ嫌われるかもしれないから5キロ痩せたら告白しよう!と決めても実際5キロ痩せてもまたなにかしらの言い訳をつけて告白を先延ばしにします。
その人は、そうやって理想の完璧な自分じゃないからと言い訳して勇気を出して人生に立ち向かうことから理由をつけて逃げいてる。。。みたいなこと!
僕もこういった風になにかしらの理屈をこねて、合理化して、自分が人生から逃げているわけじゃない、他のなにかが悪いんだとするところがあるので、本当に主人公に共感してしまって、なおかつめちゃくちゃ主人公のことを批判的な目で見ていました。
そして、「金閣寺」では行き着いた先に認識を変えるのか行動を究極化するのか、という問題に当たります。主人公は行動を選び、金閣を焼きます。

さすが三島!!!焼いてその後。。。。生きる!!!!!

ありがとう。。。ありがとう。。。主人公が最後に生きると思ってくれて僕は本当に救われるような気持ちになります。これは三島の優しさだと思います。認識を変えるのは行動することより難しいと思います。
そして、行動の先にちゃんと救いがあるんだと。主人公はちゃんと金閣から解放されてこれからちゃんと人生をすすめれるんだと、行動の先に救いがあるということに本当に救われるような気持ちになりました。
しかし、本当なら認識を変えることのほうがスマートなんでしょうけど。。。


変態型の一人称告白体

金閣寺」は主人公の手記です。これは作中で明言されてないですが推察できるような文章がいくつもあります。つまりこれは一人称告白体といった形式の小説らしいのですが~
一人称告白体って他にももちろんたくさんありまして、例えば、夏目漱石の心、太宰治人間失格が僕の知ってる一人称告白体なんですね。で、これは作中内にしっかりとこれから告白しますという構成になってるんですよ。今から告白しますという宣言があるんです。
しかし!!「金閣寺」には主人公の告白宣言がない!!!!!
金閣寺」において柏木が自分の童貞卒業の話を主人公にするときに、これから告白しますという宣言があるんです。しかしながら、肝心の主人公の告白しますという宣言はないんです。つまり「金閣寺」の主人公が金閣を焼いたあと、どうしていて、どこで書いているのかが全くわからないんです。
史実に基づくと主人公はすぐに捕まります、小説内でもおそらくそうだと思います、だとしたら、これは獄中で書かれた手記ということになります。
しかし!!!!!!!!!!!!!もしそれを明言されてしまったら!!!!救いがないじゃないですか!!!!!!主人公は金閣焼き切りこれから人生を進めようとしているんです!!!!
これは三島がその余韻に浸りやすくするように、あえてうやむやにしたんじゃないかなと思います。だから一人称告白体でありながら、告白の明言がないんだと思います。三島ありがとう。。

三島の強さと優しさ

前述した通り、主人公はめちゃくちゃにきもいやつなのである。妄想に妄想を重ねて自分にとって都合のいいように現実を捻じ曲げて、人生から逃げているのである。それにめちゃくちゃにきもい僕は自分自身を見てるみたいで苦しくなり、共感してしまう。
こういう人物こそ三島由紀夫太宰治を嫌っていたように嫌いな人種なはずなのである。
そして!!!!現実では三島自身もこういった要素を持っていて、共感と自己嫌悪をしつつ。太宰治を嫌いというポジションを公にすることで、自分を強く持とうとしていたんじゃないかなと思う。
(おれもなかなか妄想に妄想を重ねてる^^:)

「どもれ!!どもれ!!」の謎

柏木は主人公にどもれ!!どもれ!!って言いますよね。それで主人公はちょっとほっとする?うれしくなる?みたいな感じじゃないですか。あれがなんなんですかね~~~???
わかっているようでわかっていないような。あれって優しさなんですかね?主人公は吃音で得てしまった社会との隔絶が今となっては自分の心の支え、アイデンティティであり、柏木は「おれも内翻足だからわかるぜ??好きなだけどもって楽になれよ??」みたいな優しさなんですかね~
ちょっとよくわからないんで、誰か教えて!!
(しかし、もし、吃音が自分を守るアイデンティティになっていたとするなら、吃音のせいで社会から隔絶され、その隔絶されていることから心を守るためにまた、吃音を大事にするという地獄の苦しみやな。。。)

書評ってむずいや

金閣寺が面白くてそれを伝えたくて、すぐにもう一度読んで、付箋はりまくってメモしまくって読んでいたんですが、結局、収拾がつかなくなり、想いのまま書くことになりました。だいぶ独りよがりな内容だったと思います。
ここまで読んでくれた人には感謝しかないです、そして感想をくれたらもっと感謝します笑