なぜか思い出すこと

桜の森の満開の下 坂口安吾
桜の木の下には 梶井基次郎
嘔吐 サルトル
神話と日本人の心 河合隼雄
トポスの知 河合隼雄

桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」で思い出した。
おれの引きこもり時代(20,21歳ぐらい)に近所の公園を散歩していて
春先に桜の咲きかけの枝を見て寒気がした。

大きい桜並木があり、ある瞬間、桜の枝が「ボコボコ」なんに気付いた。
冬にもよく散歩していて、それでその枝の変化に気付いたんやと思う。

桜が生命エネルギーを蓄えまくって今にも爆発しようと準備しているように思った。(植物に詳しくないが多分、花を咲かせるために枝に栄養を回していたんだと思う)
そのときに、桜がすごい生生しく感じるといういかあまりにも生き物みたいに思えて
自分の全方位を覆ってる桜全部が気持ち悪く感じた。

ものの5秒ぐらいの感覚でその後はふつうに帰ったんやけど未だに、思い出す。

春は「畏れ」の季節だったらしい。
おれにはそれがよくわかるように思う。
たしかに生命力は不気味なきもち悪さがある。

手元にあった桜が本当はそうじゃなかった。

小説のイメージは多義性を持ち集約的に表現されている。

嘔吐は実存主義だけの小説じゃないとなんとなく察する。