二日前の金曜日が今まで通っていたジムに行ける最後の日だった。
その日はカラーテがインストラクターを務めるボクササイズがある日でもある。
台風がしっかり当たる予報だったのだが、弱体化し、休館にならなかった。
低気圧のせいか、連日の疲れの蓄積か、カラーテへの緊張か、その日、一日中ずっとだるい感じがした。
ジムに行くのは19時ぐらいからだ。それまで何をしていたか覚えていない。とにかくだるいなと感じていたことは覚えている。たぶん、いろいろと生活のことをしていたんじゃないかな。
思い出した。だるすぎて、17時ぐらいに一度寝たんやった。それで18時半ぐらいに起きてジムに向かったんだ。
カラーテへ何をいつ言うかというのは何も考えなかった。俺もこの二年間修羅場をくぐり抜けてきたおかげか、準備するべきは精神であって、具体的なことはむしろ悪影響だと知っていた。
ボクササイズの始まる1時間前に着き、背中のトレーニングをがっつりしようとしたが、身体がだるすぎてうまくエンジンがかからなかった。切り替えて脚のトレーニングをしたがそれもまたイマイチだった。
ボクササイズ中にこのことが奇行だったと気付くことになる。
というのも、ボクササイズは背中と脚が特にきついので、わざわざその前にトレーニングするような部位ではない。
我ながらこのときなぜ背中や脚をトレーニングしだしていたのか全く説明できない。
ボクササイズが始まる前にカラーテと顔を合わせた。「試験に落ちました」と言っていた。
インストラクターのさらなる試験に落ちたそうだ。そういえばずっとそんなこと言っていたなと思った。
ボクササイズが始まり、そもそも中盤からついて行けないのだが、脚のダメージがひどすぎて、今回ももっとついていけなかった。
なんとか終えて、ストレッチゾーンで井戸端会議となる。ここらあたりになると辞めることをカラーテや他の会員さんからいじられた。
例のごとく、また戻って来る、水泳しにくると言っておいた。
カラーテは平泳ぎの選手でもあるので、水泳を教えることができるとも言っていて、じゃあそれにまた行くよとも言った。
怪我の話やら、ボクササイズのカウントの取り方の話、背泳ぎのスタートの話、いつものごとくいろいろ話した。
不思議なことに俺はなんの緊張も焦りもしていなかった。それでいて、諦めもしていなかった。
ごくごく自然にいつも通りの会話を楽しんでいた。
一人がそろそろ帰ると腰を上げると俺含めた他の三人も自然と腰を上げて帰ろうとする。
俺はそのままのフロアのロッカーにカラーテは一つ下のフロアへ行くこととなる。
そう、もっと思い出してきた。
メンバーは四人でカラーテ、俺、水泳おばちゃん、アフロ男(カラーテのこと好きそう)だ。
水泳おばちゃんもまたカラーテ同様に、一個下のフロアに階段で降りるのだが、やや先行して行ってくれたんや。
それでちょっと遅れてカラーテ、俺、アフロがぞろぞろ行って、階段の踊り場で別れることになる。
アフロが先行してロッカーの方面へ向かい、カラーテは階段を2、3歩降りて行った。
あの時俺はどうしてたんやろ。カラーテをずっと見ていた。
それでカラーテが振り返って、笑いながら手を振っていて、それで終わりそうで、終わらなかった。
カラーテがまた上がって来て
「もう終わりですね」
「うん」
しばらくの沈黙。
「なごりおしいですか」
「うん」
「…」
「連絡先交換する?」
みたいな感じやった。
なんかめっちゃきもいな…。
うん、うんと重ねるのも気持ち悪いし、連絡先交換しようじゃなくて「する?」というのも気持ち悪い。
なんにせよ会話はそこまで進んで、インスタやってますか?と訊いてきた。
一応アカウントは持っている。
「ここ辞めてからやったらぜんぜんいいんやけどな~」
「サブでもいいですか?」
「トレーニング記録を残してるやつです」
そんなことを言っていた。
好意的に察するに、カラーテはそのジムであと4年は働くつもりで、トラブルを回避しつつ連絡先を交換しようと思ったのだと思う。
悪く見れば、お客さんやしな~みたいな感じでの交換。
俺はまったく余裕がなく、ただ現実を眺めていた。
インスタの名前とアイコンの特徴とプロフィールにどんなことが書いてあるかだけ教えてもらった。
QRコードを出すのもはばかれるのだろうと思った。
これで大成功…なはずだったのだが。致命的なミスがあった。
インスタのユーザーIDではなく名前だったので検索に出てこないのである。
悲観的に見れば、その場をごまかすために嘘をつかれたとも考えられるが、さすがにその感じではなかった。なんにでも疑念を抱くがそれはさすがに違うと思う。
単純に俺がアホすぎた。
そういうことで、なんと、連絡先は交換できていない。
失態すぎる。
すごい中途半端な結果だ。
しかし、ちょっと微妙な感じやけど、連絡先の交換を自分から言えたのは大いなる進歩だ。
あのときの瞬間の感じはすごかった。過去も未来も凝縮されていた。
それにまた戻って来るとはほとんど全員に言っているし、いきなり戻るのはちょっとはばかれるけど、2,3カ月したらまた顔を出してそのときに交換しようと言えばいいや。
その時はもっと攻めた口調でいけると思う。
なんだかな~。
インスタの検索かからない問題はすごい中途半端な結果や。どうとでも捉えられてしまう。
てか、俺がその情報で検索を当てられへんのがあかんのかな。使わんからぜんぜんわからん。俺の全盛期はスカイプやったけど今はあんのかな。
階段の踊り場は印象的やったな。
階段で踊り場よ。メタファー感じまくりや。階段の踊り場で色んな名もなきドラマや葛藤が今まであったんじゃないかなと思う。
とにかく、カラーテの一件は自分の殻をちょい破りできたからやや満足で、少しの休憩期間をおいてまだあと少し続きそう。というかなんとか続かせる。